亀山市歴史博物館
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6−@ んぼやはたけむしからまも


いまでは、んぼやはたけ作物さくもつむしからまもるための農薬のうやくがありますが、農薬のうやくひろまるまでは、人々ひとびとはとても苦労くろうをしていました。たとえば、「虫送むしおくり」という行事ぎょうじがあります。この行事ぎょうじんぼやはたけ害虫がいちゅう意味いみがあるとされる行事ぎょうじで、日本全国にほんぜんこくでさまざまな方法ほうほうがおこなわれていました。
市内しないで「虫送むしおくり」をおこなっているのは、今は木下町このしたちょうだけになりましたが、長明寺町ちょうみょうじちょう田村町田村たむらちょうたむらでは、初盆はつぼんの行事ぎょうじ灯籠とうろうおくとき一緒いっしょ害虫がいちゅうおくるとわれています。
一方いっぽうで、実際じっさいむし退治たいじすることもおこなわれてきました。明治時代めいじじだいわりから大正時代たいしょうじだいはじめころの関町中町せきちょうなかまち記録きろくると、当時とうじ関町役場せきちょうやくばからさまざまな害虫対策がいちゅうたいさく指示しじされています。役場やくば中心ちゅうしんとして地域全体ちいきぜんたい害虫対策がいちゅうたいさくまなければならないほど、その被害ひがいおおきかったとえます。


虫送むしおくり・木下町このしたちょう」(映像えいぞう) 上映時間約じょうえいじかんやくぷん
平成19年撮影 (※亀山市史民俗編へリンクします)



    いねにつく害虫がいちゅうたまごをとりのぞくことをすすめる規定きてい(関町中町)

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亀山市歴史博物館所蔵関町史編さん史料
明治めいじ40年(1907年)6月に、いねにつく害虫がいちゅうであるメイチュウ(いねくきはいるニカメイガの幼虫ようちゅう)のたまごのぞくことをすすめるように関町役場せきちょうやくばから関町中町せきちょうなかまち区長くちょうあてにされた通知つうちです。そこには鈴鹿郡関すずかぐんせき亀山かめやまふくんだひろ地域ちいき)がめたメイチュウのたまごをとることをすすめるための規定きていまり)がかれています。その規定きていとは、鈴鹿郡内すずかぐんないのメイチュウのたまごをとってとどりょうによって、くじをひくことができ、たると賞品しょうひんがもらえるというものです。
 3000以上いじょうかたまりのかたまりをとったひと一等賞いっとうしょう(2本)の缶入かんいりの石油せきゆ、2000以上いじょうひと二等賞にとうしょう(10本)のくわ、1500以上いじょうひと三等賞さんとうしょう(20本)のガンヅメ(草取くさとりの道具どうぐ)、1000以上いじょうの人は四等賞よんとうしょう(50本)のかま、500以上いじょうひと五等賞ごとうしょう(120本)の心切鎌しんきりがまたるというくじをひくことができるとかれています。賞品しょうひんしてまで、メイチュウのたまごをとらせようとしたのは、いかにその被害ひがいおおきなもので、また、たまごをとる作業さぎょう大変たいへんなものであったかをあらわしています。


    くわにつく害虫がいちゅう駆除くじょをおこなうことについての通知つうち(関町中町)

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亀山市歴史博物館所蔵関町史編さん史料
明治めいじ45年(1912年)1月に、かいこのえさである、くわにつくヒメゾウムシを、はらうことについて、関町役場せきちょうやくばから関町中町せきちょうなかまち区長くちょうあてにされた通知つうちです。関町役場せきちょうやくば各地区かくちくのこぎりすという内容ないようから、くわっておこなう作業さぎょうのようです。古厩ふるまや10ちょう木崎こざき18ちょう中町なかまちちょう新所しんじょ17ちょう久我くがちょうのこぎりてがあり、この作業さぎょうをしていない桑畑くわばたけぬしからは罰金ばっきんをとるようにもとめています。


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6−A ひとからだむしからまも


殺虫剤さっちゅうざい蚊取かと線香せんこうひろまるまでは、むしからひとからだまもることもかんたんではありませんでした。市内しないでは、むしおお季節きせつんぼややまなかなどで仕事しごとをするときには、「かこ」(「かんこ」、「かっこ」)とよばれるものを使つかった地区ちくもありました。
 また、むかしいえはすきおおく、すぐにむしはいりこみました。そのため、なつはよもぎなどの植物しょくぶつをつけていえなかをいぶすことでなどのむししていました。


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亀山市歴史博物館所蔵
松村家資料
    むしよけの「かこ」 @

関町久我せきちょうくが松村正まつむらただしさん(昭和しょうわ24年まれ)がつくってくださった「かこ」です。「かこ」とは、蚊取かと線香せんこうのようなものです。このさきをつけていぶすことで、ブト(ブヨ)などの害虫がいちゅうをよけることができます。木綿もめんの布ぬのしんにして、ほそいた木綿もめんぬのいなわらをいてつくられています。右側みぎがわのものはすこ使つかったのでみじかくなっています。


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亀山市歴史博物館所蔵
資料
    むしよけの「かこ」 A

 この「かこ」は、加太梶ヶ坂かぶとかじかさかつくられたものです。木綿もめんぬの棒状ぼうじょうにしてわらなわいてあります。


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6−B むし使つかって仕事しごとをする


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まゆ
亀山市歴史博物館所蔵資料
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くわ(「養蚕手びき草」より)
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くわをとるためのつめ
亀山市歴史博物館所蔵川戸家資料
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かいこにえさのくわをあたえる
(田村町田村・昭和23,4年ごろ)
佐久間家所蔵資料
(ア)製糸場せいしじょうかいこそだる家いえ

群馬県ぐんまけん富岡製糸場とみおかせいしじょうなどの絹産業きぬさんぎょうにかかわる文化財ぶんかざい世界遺産せかいいさん登録とうろくされたニュースをっているでしょうか。明治時代めいじじだいには、この地域ちいきにもおおくの製糸場せいしじょうがあり、それをささえる養蚕ようさんをおこなういえがたくさんありました。
養蚕ようさんとは、かいこというたまごからそだてて幼虫ようちゅうまゆつくらせ、そのまゆから絹糸きぬいとをとることですが、明治時代めいじじだいには製糸場せいしじょうかいこそだてるいえとで役割やくわりけて仕事しごとをすることが一般的いっぱんてきになっていました。つまり、製糸場せいしじょうは、養蚕ようさんをおこなういえからまゆあつめて絹糸きぬいとをとって商品しょうひんにしたのです。


(イ)かいこそだててまゆ出荷しゅっかするまで


養蚕ようさんをおこなういえでは、かいこおおきくなるにつれてよりひろ場所ばしょ必要ひつようになり、ひと部屋へやにもかいこうためのたなつくるということがよくありました。かいこのえさは、くわというなので、くわはたけそだてることも大切たいせつ仕事しごとでした。くわにも種類しゅるいがあり、ちいさいかいこにはちいさくべやすいをつけるくわおおきくなったかいこにはあつみがあっておおきなをつけるくわべさせていました。また、さむ季節きせつにはかいこえないように、火鉢ひばち部屋へやあたためました。
 こうしてそだてたかいこがつくったまゆは、「毛羽取けばとり」(まゆのまわりについた余計よけい部分ぶぶんのぞ作業さぎょう)をおこなって、製糸場せいしじょう問屋とんや出荷しゅっかしました。


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毛羽取機けばとりき
亀山市歴史博物館所蔵駒田家資料
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毛羽取機けばとりきまゆ毛羽けばりのぞく
再現さいげん


    養蚕こがいびきぐさ
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亀山市歴史博物館所蔵加藤家文書

養蚕ようさん方法ほうほう文字もじつたえていますが、ここにかれた方法ほうほうは、この地域ちいきのものというわけではありません。





@種紙たねがみかいこたまごみつけさせたかみ)の一つのわくなかについたたまご、4かい脱皮だっぴをしておおきくなるかいこのようす、まゆまゆなかのさなぎ。 画像クリック

Aかいこ成虫せいちゅうかいこたまごむまで。 画像クリック

Bたまごからかえったちいさなかいことりはねなどではきて、えさのくわをきざんで、ふるいにかけるなど、ちいさなかいこべやすい工夫くふうをしている。 画像クリック

Cかいこくわをあたえ、おおきくなったかいこを「マブシ」にれて、かいこまゆつくり、そのまゆを「マブシ」からってかごにれている。 画像クリック

Dまゆをゆでて絹糸きぬいとをとり、「かせいと」(使つかいやすいようにいてたばねたいと)に仕上しあげる。 画像クリック



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