亀山市歴史博物館
・
凡例
・
研究ノート・クイズ
・
体験グッズ
・
出品目録
・
参考文献
・
ポスター・チラシ
・
奥付
TOP
テーマ
近年
(
きんねん
)
、
人里
(
ひとざと
)
に
出
(
で
)
てきた
猿
(
さる
)
による
被害
(
ひがい
)
が
増
(
ふ
)
えています。
市内
(
しない
)
でも
畑
(
はたけ
)
や
家
(
いえ
)
の
庭
(
にわ
)
などが
荒
(
あ
)
らされ、
大
(
おお
)
きな
被害
(
ひがい
)
が
出
(
で
)
ています。
市内
(
しない
)
では「亀山サルの
会
(
かい
)
」「サルどこネット」などが
中心
(
ちゅうしん
)
となって
猿
(
さる
)
の
群
(
む
)
れを
調査
(
ちょうさ
)
し、その
対策
(
たいさく
)
の
講習会
(
こうしゅうかい
)
をひらくなど、さまざまな
取
(
と
)
り
組
(
く
)
みも
進
(
すす
)
められています。
現在
(
げんざい
)
の
市内
(
しない
)
で
見
(
み
)
られる
猿
(
さる
)
よけネットの
例
(
れい
)
市内
(
しない
)
の
人
(
ひと
)
と
猿
(
さる
)
のかかわりをふりかえってみると、その
住
(
す
)
み
分
(
わ
)
けがはっきりとしていた
時代
(
じだい
)
が
長
(
なが
)
く、
被害
(
ひがい
)
などを
伝
(
つた
)
える
古
(
ふる
)
い
資料
(
しりょう
)
は
見
(
み
)
つかっていません。その
一方
(
いっぽう
)
で、
猿
(
さる
)
を
使
(
つか
)
って
仕事
(
しごと
)
をしたり、
猿
(
さる
)
のふしぎな
力
(
ちから
)
を
利用
(
りよう
)
したりしていたことがわかる
資料
(
しりょう
)
が
見
(
み
)
られます。
ページのtopへ戻る
コラム−@
猿屋
(
さるや
)
ってなんだ?
馬
(
うま
)
に
付
(
つき
)
覚書帳
(
おぼえがきちょう
)
画像クリック
亀山市歴史博物館所蔵今井家文書
この
記録
(
きろく
)
は、亀山の
殿
(
との
)
さまの
石川家
(
いしかわけ
)
につかえた
今井家
(
いまいけ
)
に
伝
(
つた
)
わっていたものです。
今井家
(
いまいけ
)
は、
代々
(
だいだい
)
馬
(
うま
)
にかかわるすべてをまかされたリーダーの
家
(
いえ
)
でした。だから、
今井家
(
いまいけ
)
に
伝
(
つた
)
わっていたものは、テーマ2の
馬
(
うま
)
のコーナーなどにも
展示
(
てんじ
)
されています。
さて、ここで
注目
(
ちゅうもく
)
したのは、
猿
(
さる
)
まわしが
厩
(
うまや
)
(
馬小屋
(
うまごや
)
)のお
祓
(
はら
)
いに
来
(
き
)
ているというところでした。
「
例年
(
れいねん
)
御厩祈祷
(
おうまやきとう
)
正五九月十五日
猿廻
(
さるまわ
)
シ
参候事
(
まいりそうろうこと
)
」と
書
(
か
)
かれているところ、どこにあるかわかるかな?
江戸時代
(
えどじだい
)
の
文久
(
ぶんきゅう
)
3年(1863年)の
亀山宿内
(
かめやましゅくない
)
のようすを
記録
(
きろく
)
した「
宿内
(
しゅくない
)
軒別
(
のきべつ
)
書上帳
(
かきあげちょう
)
」を
見
(
み
)
ると、
油屋
(
あぶらや
)
、かじ
屋
(
や
)
、瓦屋
(
かわらや
)
などにならんで、「
猿屋
(
さるや
)
」という
家
(
いえ
)
があることに
気
(
き
)
づきます。「
猿屋
(
さるや
)
」とは、どんな
仕事
(
しごと
)
をする
家
(
いえ
)
でしょうか。
実
(
じつ
)
は、
猿
(
さる
)
まわしのことを「
猿屋
(
さるや
)
」とも
言
(
い
)
うんです。亀山に
猿
(
さる
)
まわしが
住
(
す
)
んでいたんですね。
今
(
いま
)
でも
猿
(
さる
)
まわしは、イベントやテレビで
芸
(
げい
)
を
猿
(
さる
)
にさせて
大人気
(
だいにんき
)
ですが、亀山の「
猿屋
(
さるや
)
」は、どんな
仕事
(
しごと
)
をしたのでしょう。その
記録
(
きろく
)
はのこっていませんが、やはり
猿
(
さる
)
の
芸
(
げい
)
で
人
(
ひと
)
を
楽
(
たの
)
しませていたでしょう。もう1つ
考
(
かんが
)
えられる
仕事
(
しごと
)
は、
厩
(
うまや
)
(
馬小屋
(
うまごや
)
)のお
祓
(
はら
)
いです。これは
猿
(
さる
)
が
馬
(
うま
)
の
守
(
まも
)
り
神
(
がみ
)
とされることから
始
(
はじ
)
まったとされる、
猿
(
さる
)
まわしの
大事
(
だいじ
)
な
仕事
(
しごと
)
でした。
亀山城主
(
かめやまじょうしゅ
)
の
石川家
(
いしかわけ
)
につかえた
今井家
(
いまいけ
)
は、
馬
(
うま
)
をあつかう
仕事
(
しごと
)
のリーダーをまかされていた
家臣
(
かしん
)
でした。その
今井家
(
いまいけ
)
の
記録
(
きろく
)
にも、
猿
(
さる
)
まわしが
出
(
で
)
てきます。
毎年
(
まいとし
)
1月、5月、9月の15日に
猿
(
さる
)
まわしが
来
(
き
)
て、
厩
(
うまや
)
(
馬小屋
(
うまごや
)
)のお
祓
(
はら
)
いをしていることが
記録
(
きろく
)
されています。亀山に
住
(
す
)
んでいた
猿
(
さる
)
まわしが
来
(
き
)
たのかもしれません。
ページのtopへ戻る
コラム−A
祭
(
まつ
)
りの
幟
(
のぼり
)
の
縄
(
なわ
)
についている
猿
(
さる
)
?
お
祭
(
まつ
)
りの
時
(
とき
)
に
立
(
た
)
てる
大
(
おお
)
きな
幟
(
のぼり
)
を
見
(
み
)
たことがあるでしょうか。あの
幟
(
のぼり
)
を
支
(
ささ
)
える
縄
(
なわ
)
には
人形
(
にんぎょう
)
がついています。あの
人形
(
にんぎょう
)
は
何
(
なん
)
でしょうか。たずねると、みなさん
猿
(
さる
)
だとおしえてくれます。でも、その
意味
(
いみ
)
はほとんど
伝
(
つた
)
わっていません。
市内
(
しない
)
には、
女性
(
じょせい
)
が
結婚
(
けっこん
)
する
時
(
とき
)
に、この
人形
(
にんぎょう
)
を
作
(
つく
)
っていたという
地区
(
ちく
)
もあり、「
子宝
(
こだから
)
にめぐまれるように」という
願
(
ねが
)
いがあったのでは? とも
言
(
い
)
われています。
全国的
(
ぜんこくてき
)
にもこのような
猿
(
さる
)
の
人形
(
にんぎょう
)
は
多
(
おお
)
くありますが、
地域
(
ちいき
)
によって
使
(
つか
)
い
方
(
かた
)
や
意味
(
いみ
)
はちがっています。しかし、「
赤
(
あか
)
い
色
(
いろ
)
が
魔
(
ま
)
よけになる」「
子宝
(
こだから
)
にめぐまれる」というような
意味
(
いみ
)
が
伝
(
つた
)
わっているところが
多
(
おお
)
いようです。
祭
(
まつ
)
りの
幟
(
のぼり
)
の
縄
(
なわ
)
につける
猿
(
さる
)
の
人形
(
にんぎょう
)
亀山市歴史博物館所蔵中庄青年団資料
ページのtopへ戻る
Copyright 2015 Kameyama City Historical Museum