亀山市歴史博物館
凡例   ・研究ノート・クイズ   ・体験グッズ   ・出品目録   ・参考文献   ・ポスター・チラシ   ・奥付
TOP




テーマ















4−@ おおかみのふしぎ


(ア)おくおおかみはなし

明治めいじ38年(1905年)につかったものがさいごとわれる日本にほんおおかみ(ニホンオオカミ)は、すべてほろんでしまったことになっています。市内しないにもおおかみがいたんでしょうか。明治時代めいじじだいのことなので、くわしくはわかっていませんが、関町鷲山せきちょうわしやま加太かぶとでは「おくおおかみ」のはなし記録きろくとしてのこっています(関町史編せきちょうしへんさん資料しりょう)。「おくおおかみ」とは、よるひとあるいているとおおかみがついてくる、途中とちゅうひとがこけるとひとべるが、こけずにかえるといえまでついてくるというおおかみのことです。おくおおかみあるいているひとのひざのうらをしてこかそうとしてきたはなし、もしこけてしまったら、休憩きゅうけいすわったというふりをして「一服いっぷくしよ、一服いっぷくしよ」と言えば、おくおおかみべられないでむというはなし記録きろくされています。


(イ)おおかみのおふだ


三峯神社みつみねじんじゃのおふだつくるための版木はんぎ
辺法寺町個人所蔵資料 

三峯神社みつみねじんじゃ埼玉県秩父市さいたまけんちちぶしにある有名ゆうめい神社じんじゃで、そのかみさまの使つかいのおおかみ山犬やまいぬともばれる)がおふだにもえがかれています。
辺法寺町へんぼうじちょうでは、おおかみえがかれたおふだをつくるための版木はんぎつたわっています。その由来ゆらいはわかっていませんが、版木はんぎをじっくりとてみると埼玉県さいたまけんにある三峯神社みつみねじんじゃのおふだであることがわかります。三峯神社みつみねじんじゃ江戸時代えどじだいにとてもはやった神社じんじゃで、そのかみさまの使つかいであるおおかみえがかれたおふだは、とくに「盗賊除とうぞくよけ」、つまり、どろぼうにあわないご利益りやくがあるとされて、全国ぜんこくひろまりました。三峯神社みつみねじんじゃ信仰しんこう三重県内みえけんないでどれくらいひろまっていたかはわかっていませんが、この版木はんぎ辺法寺町へんぼうじちょうつたわっているということは、このあたりにもおふだひろまっていたのかもしれません。

    三峯神社みつみねじんじゃ版木はんぎからとった拓本たくほん
画像クリック

 「火防かぼう」「盗賊除とうぞくよけ」のご利益りやくかれ、三峯神社みつみねじんじゃ神様かみさま使つかいであるおおかみ山犬やまいぬ)のがあります。


ページのtopへ戻る

4−A 3ぼんあしのにわとり?


画像クリック

昭和しょうわ10年(1935年)の野登寺やとうじ開帳かいちょう
記念写真きねんしゃしん

両尾町平尾個人所蔵資料

画像クリック

本足ぼんあしのにわとりのつくもの
(両尾町平尾・昭和10年)

奉納ほうのうしたつくものたわらの上に3本足ぼんあしのにわとりがえる。

画像クリック

鶏足山野登寺けいそくざんやとうじ(安坂山町)
(ア)つくもののにわとり

ふる写真しゃしんうつっているのは、昭和しょうわ10年(1935年)の鶏足山野登寺けいそくざんやとうじ安坂山町あさかやまちょう)の行事ぎょうじのようすです。このとき行事ぎょうじはとても盛大せいだいにおこなわれ、野登寺やとうじささえる5つの地区ちく平尾ひらお原尾わらび池山いけやま安楽あんらく坂本さかもと)がそれぞれでつくったかざりを奉納ほうのうしました。この写真しゃしんには、平尾地区ひらおちく両尾町ふたおちょう)の人々ひとびと奉納ほうのうかざりがうつっています。奉納ほうのうかざりをよくると、米俵こめだわらうえに2つくもののにわとりがえます。さらによくると、にわとりは3本足ぼんあしつくってあります。ふしぎですね。

(イ)3本足ぼんあしのにわとりと野登寺やとうじ

じつは、この3本足ぼんあしのにわとりは、野登寺やとうじにゆかりのふか動物どうぶつです。野登寺やとうじつたわったはなしによると、醍醐天皇だいごてんのう(885年〜930年)のゆめにおぼうさんがあらわれて、れてしまった伊勢いせ鶏足山けいそくざん野登寺やとうじ)をたすけてほしいとわれ、天皇てんのう使つかいのもの鶏足山けいそくざんにむかわせました。しかし、鶏足山けいそくざんのふもとについた使つかいのものは、みちまよってこまってしまいます。そこにんできたのが3本足ぼんあしのにわとりで、使つかいのものやまうえまで案内あんないしたのです。その結果けっか千手観音菩薩せんじゅかんのんぼさつつかり、その観音菩薩かんのんぼさつ本尊ほんぞんとした鶏足山けいそくざん野登寺やとうじてられたということです。そのため、3本足ぼんあしのにわとりは、野登寺やとうじはじまりにかかわる特別とくべつ動物どうぶつとして、いま人々ひとびとられています。




ページのtopへ戻る

4−B きつねたぬきのふしぎ


(ア)ひとかすきつねたぬき

きつねたぬきは、「ひとかす」動物どうぶつだとわれてきました。いまでは、きつねたぬきに「かされた」とひとすくなくなりましたが、ほんの数十年前すうじゅうねんまえには「かされた」というはなしをするひとはたくさんいました。きつねおんなひとける、たぬきはおぼうさんや相撲すもうりにけるというように、けるものがちがうということもわれました。
市内しないでは、たぬきよりもきつねかされたひとおおかったとおもわれます。たとえば、ざしきの青畳あおだたみあたらしいたたみ)がえて、そこにいるきれいなおんなひとが「がりなさい」とうので、たたみがったとおもったら、いけちたとか、っていたものとくにあぶらあげ)がなくなったとか、いつもとおみちなのにみちまよってしまうとか、いつもとおはしえてしまうなど、いろいろなふしぎな体験たいけんをして、そのような体験たいけんを「きつねかされた」と説明せつめいしたのでした。

画像クリック
伏見稲荷ふしみいなり掛軸かけじく
亀山市歴史博物館所蔵
打田家文書
(イ)かみさまの使つかいのきつね

きつねかみさまの使つかいでもありました。「おいなりさん」とよくばれる稲荷いなりかみをまつった神社じんじゃほこら全国的ぜんこくてきおおく、あか鳥居とりいがとくちょうてきです。地区ちくでおまつりするものもあれば、1けんいえでおまつりするものもあり、農作物のうさくもつがたくさんとれること・商売しょうばいがうまくいくこと・やくばらいなどにご利益りやくがあるとわれています。市内しないにも、大小だいしょうふくめてたくさんの「おいなりさん」があります。全国ぜんこく有名ゆうめいなものとしては、京都府きょうとふ伏見稲荷ふしみいなり愛知県あいちけん豊川稲荷とよかわいなりなどがあり、市内しないの「おいなりさん」もこれらの稲荷いなりからかれたものがおおいようです。


ページのtopへ戻る

4−C たぬきかしたはなしいてみよう



 このコーナーでは、市内しないにのこっていた、たぬきひとかしたはなしいてみましょう。昭和しょうわ22年(1945年)ごろに加太かぶとたぬきひとかしたはなしで、昭和しょうわ52年(1977年)4月16日に録音ろくおんされたものです。

たぬきかしたはなし
mp3形式(1.58 MB)


    はなしのないよう

わたしがそのっとるのは、たぬきやったな。たぬきおんなにはけませんのやわ、坊主ぼうずとか相撲すもうり。わたしたんは、フクタニマンゾウてひとや、中在家なかざいけ加太中在家かぶとなかざいけ)のな、な。わたしが、そやな、そいでも2、30年前ねんまえやな、このちょうどやまのつづきに、板屋いたや加太板屋かぶといたや)をみちがありますんや、ふるみちが。そこへ、そのひとやまからかえりに、たきぎをかついで、それでさけきなひとでしたがな。それでちょっと一杯いっぱい、サワダマゴクロウ、タケオさんとこで一杯いっぱいよばれて。はー、これとうげやでええわ、ウチがしたやで、中在家なかざいけえますやろ。ほいで、たら、ちょっともかりがつかんだ。そのときは電気でんきがありましたんやけどな、いつもなら、信号しんごう鉄道てつどう信号しんごう)がシャーとして電気でんきがつくのに、電気でんきがつかんておかしいなぁとおもて、ホイといて。いまはなしや、たばこいかけたら、板屋いたやほうからね、9しゃく(2メートル70センチほど)ぐらいあったていますから、(れず)みたいな相撲すもうりが。まえかけをこうバーっとして。そんな相撲すもうりは、あいにはまえかけしとらんのや、それがかされとるわけや。ほんで、湯気ゆげっとんのやて、風呂ふろからたばっかりで、ムクムクしとるんやて、「相撲すもうをとろう」て。あー、これはだましやがったておもうて。それ、よー、だまされたんかったちゅうたらさー、かしこいわな、さけんどっても。9しゃくもあるもんが、ここがえたてうんやで、(れず)のここがな。こんなんがかしてくるとおもうて、ひろってぼうでこうなぐったら、ポイとけたんやて。いっくらっぱろうがどうしようがれやへん。それで、ヤーとよぼったんが、キチザエモンにこえたんや。ゲンサコさんが近所きんじょいえ風呂入ふろいりにって、ちょうど10ごろに。かえってたらマンさんがえらいくどい、やかましいことうとる、やまうえで。鐘鋳場かねいば関町金場せきちょうかねば)からてござったな、よめさんが、あのひと親父おやじさんとが提灯ちょうちんってな、いぬぴきつれて、むかえにたんや。また、マンがケンカしとる。ほいで、っぱっとってもぬけんし、うとったら、なんやペロペロとたもんやで、ひょいとながめたらウチのクロ(いぬ)やったて。ほいたら、むこうへ電気でんきがパーとえて、相撲すもうりもなにもおらへん。えらいだまされたわて。ぼうやなんやかってな、うちわってかえってた。あくるたんや、ウチへ。なんやったんやて、おれがったろまいか、たぬききまっとる。ウチにええいぬおったで、このやまへすぐがって、たぬきをもうすぐした。ほいで、そこが、わたしんとこちょうど、このへんがそうやでな、あのへんからながめたら学校がっこう運動場うんどうじょうくんや、ワーワーいぬが。そいで、むこうへまわってくるでさ、むこう、えらいハゲ(えていないところ)がありますんや、たぬきがこれとおるでとおもうて、ちょっと鉄砲てっぽうってかまえてこうやっとったんや。ムクムクムクとがってて、そんなんあとまわしや、バン。それで、それ1ぴきっといて、まつにくくっといて。また、いぬが、もう1ぴきがおる。2つおんな、ておもうて、こうムネづたいにったら、したこえがしとったでな。だれかしらんとおもったら、ヨッサンとこのオイさんで、あのなんとかいう、名前なまえわすれたわ、スエマツさんの養子ようしったウチの親父おやじさん、えー、フサさん。あのひとらが猟師りょうしで、えらいたぬきったて、また、2つほど。もう、それからちょっとも(れず)。それをわたしってあげた。


ページのtopへ戻る

   



Copyright 2015 Kameyama City Historical Museum