亀山市歴史博物館
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3−@ 淡水魚たんすいぎょをとってべる


淡水魚たんすいぎょとは、かわいけなどにすむさかなのことです。かわいけなどにすむさかな自分じぶんでとってべることがよくありました。市内しないでは、うなぎ・どじょう・あゆ・ふな・はよ(カワムツ・ヌマムツ)・しらはよ(オイカワ)・もろこ(タモロコ)などのさかなをとってべることが多かったようです。これらのさかなのとりかたにはいろいろあり、また、さかな種類しゅるいによってもちがいます。たとえば、うなぎは、みじかくてほそたけはりがついたいとをつけてしかける「ながばり」という方法ほうほう、「もんどり」などとばれる道具どうぐを使う方法ほうほう、ためいけみずをぬいていけそこのどろをカギでかきまわしてひっかける「うなぎかき」という方法ほうほうなどがありました。
かたさかな種類しゅるいなどでちがうこともありましたが、いたり、たりしてべることがおおかったようです。


    「うなぎかき」を使つかうようす(三寺町の男性だんせいによる再現さいげん



 「うなぎかき」でうなぎをるコツは、うなぎがかかったごたえがあったとき片手かたてどろなかれてうなぎがはずれないようにさえながら、げることだそうです。

うなぎかき
亀山市歴史博物館所蔵
三谷鍛冶屋資料



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3−A もんどりの仕組しく



もんどり
(左:うなぎ用 ・ 右:どじょよう用)

亀山市歴史博物館所蔵資料


びんつけ
亀山市歴史博物館所蔵落合家資料

 もんどりは、たけほそったものでつつかたちつくり、入口いりぐちほうに「かえし」をつけ、出口でぐちの方はひもでしばってじて使つかいます。「かえし」とは、入口いりぐちひろく、おくくほどにせまくつくられ、一番奥いちばんおくのせまいくちからなかはいってしまうと、さかなることができなくなる仕組しくみのことです。もんどりには、うなぎをとるためのもの、どじょうをとるためのものがありました。また、ガラスでつくられたもんどりは、「びんつけ」などとばれ、はよ・しらはよ・ふな・もろこなどをとることに使つかわれました。


    どじょうようのもんどり

亀山市歴史博物館所蔵資料
 「もんどり」のなかからった田螺たにし、または、ったこめぬかをんぼのつちでこねてまるめたものをえさとしてれて、んぼのふちや水路すいろにしずめておくと、どじょうがれます。どじょうは、味噌汁みそしるとしてよくべたようです。
    びんつけ

亀山市歴史博物館所蔵森家資料
 この「びんつけ」は、三寺町みつでらちょう森啓もりけいさん(昭和しょうわ5年生まれ)が25さいころから使つかい、5年ほどまえまで使っていたというものです。この中にったこめぬかと粘土ねんどをまぜてまるめたえさを入れ、なつあつ時期じき正午しょうごころにかわながれのゆるやかなところにしずめておくと、1時間じかんもすれば、10ぴき〜20ぴきの「しらはよ」などのさかなれました。れた「しらはよ」は、あたま内臓ないぞうって油焼あぶらやきにし、しょうゆ・みりん・さとうで味付あじつけするとおいしいのだそうです。


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3−B 海水魚かいすいぎょってべる


海水魚かいすいぎょとは、うみにすむさかなのことです。市内しないうみめんしているところがなく、海水魚かいすいぎょ白子しろこ鈴鹿市すずかし)や白塚しらつか津市つし)などから来る行商ぎょうしょうからうという地区ちくおおくありました。そのため、昭和時代しょうわじだい前半ぜんはんごろまでは、ふだんの食事しょくじ海水魚かいすいぎょされることは、あまりありませんでした。ふだんの食事しょくじ使つか海水魚かいすいぎょえば、煮干にぼし・いわしぐらいだったようです。おかずは野菜やさいばかりでめったにさかなべることはなかったといういえもありました。 ただ、あきになると、かど(サンマ)をって、わらにをつけてざかなにしたり、かどのをごはんにまぜた「かどめし」にしたりしてべることができたので、とてもたのしみにされていました。


    かどめし(再現さいげん
 「かど」とは、さんまの方言ほうげんです。さんまをいてからほぐしてごはんれたり、なまのさんまをこめうえにのせて一緒いっしょいたあとでほぐしてごはんにまぜたりしてつくります。
    じゃこめし(再現さいげん
 とりにくわりに、だしじゃこ(煮干にぼし)をれたあじはんです。


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