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凡例  1.印刷のはじまり  2.版木の普及と拡大  3.亀山での印刷事業  4.普及する印刷  協力者・参考文献・出品一覧

4.普及する印刷

 印刷業の登場により、印刷された文書がより身近になりました。次に、印刷会社へ発注することなく、自らの手元で印刷を行える機械が登場してきます。手書き文書を印刷する謄写版(とうしゃばん)、ついで活字印刷ができるタイプライター、そして、かな漢字変換機能をもったワープロへと発展していきます。小型軽量化が進むことで、個人が印刷機器を持つ時代へと移り変わっていきます。

 コラム 
  印刷される器
 印刷できるものは紙だけではありません。陶磁器も手書きから印刷へと変化していきます。                  


69.印判(いんぱん)陶磁器(亀山城跡)
   明治・大正時代 亀山市(まちなみ文化財G所管)
 亀山城東三之丸外堀から出土しました。プリント版を使って生産された陶器と磁器です。文様を彫った型紙を器に押し当て、ブラシで染料を塗って絵柄を出す型紙摺絵(かたがみすりえ)の技法によって作られています。平面の紙を湾曲した器に押し当てることから、文様のズレや重なりが発生します。
69.印判陶磁器 69.印判陶磁器 69.印判陶磁器 69.印判陶磁器
印判陶磁器



70.謄写版(とうしゃばん)
   昭和29年(1954) 亀山市歴史博物館
 日本で最初の謄写版は、明治27年(1894)に滋賀県蒲生郡朝日野村出身の堀井新治郎・耕造父子によって開発されました。その親子によって造られた製品のひとつがこの「堀井謄写版」です。
 昭和29年6月3日に亀山町立図書館が購入しました。同年10月に町村合併により亀山市となったことから、「町」を墨書きで「市」と訂正しています。
70.謄写版 70.謄写版
謄写版


71.謄写版原紙
   昭和時代 亀山市歴史博物館(櫻井家資料)
 薄葉紙(うすようし)にロウやワックスなどを浸透させた紙です。鉄筆(てっぴつ)で書くことで塗料が剥がれ、そこへインクが通ることで印刷できる仕組みです。
 本資料は、セイワ原紙の5mm方眼の横書用原稿用紙で、品番は100番、A列三番用の用紙です。堀井謄写版[出品番号70]は規格がA列3号版型ですので、このサイズの原紙が適合します。
71.謄写版原紙
謄写版原紙


72.鉄筆
   昭和時代 亀山市歴史博物館(櫻井家資料)
 鉄筆のセットです。筆先は用途により色々な形があります。このセットでは、極細、細、廻転式、撥形(ばちがた)、玉先などがあります。
72.鉄筆
鉄筆


73.シャチ謄写版ヤスリ
   昭和時代 亀山市歴史博物館
 原紙に文字を書いて孔をあけるためのヤスリです。大島(やすり)製作所(愛知県刈谷市)で製造されました。細長い方は、「XA」となっていますので、斜めの目が刻まれ、直線を引くために使われていました。もう1枚は、片面が「方B」、もう一面が「XB」となっています。「方」は縦横の目、「X」は斜めの目が刻まれています。AとBでは、Bの方が目が細かいという仕様です。
73.シャチ謄写版ヤスリ
シャチ謄写版ヤスリ


74.萬古謄写用インキ
   昭和時代 亀山市歴史博物館(櫻井家資料)
 謄写版で印刷する際に使用する油性インクです。缶入りは黒色、チューブ入は青色のインクです。萬古堂(バンコ株式会社・大阪府)が製造したものです。
74.萬古謄写用インキ 74.萬古謄写用インキ
萬古謄写用インキ


75.萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋)
   昭和時代 亀山市歴史博物館(井野家資料)
 日本謄写印刷普及会(京都市)が刊行した、製版用・印刷用に分類した謄写版使用道具の説明書です。製版用道具のヤスリや鉄筆は、先に紹介した資料の特徴とも合致しています。
75.萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋) 75.萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋) 75.萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋) 75.萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋)
萬年孝成「謄写版の製版と印刷」(抜粋)

 謄写版の使い方 
1.謄写版原紙(ロウ原紙)に原稿を書く。
 ヤスリの上にロウ原紙を置き、鉄筆で文字を書きます。鉄筆によってロウが()がれ、インクの通る(あな)ができます。
謄写版原紙に原稿を書く
2.インクを練る。
インクを練る
3.原紙を木枠にセットする。
 書き上げた原紙を金具で挟み込み、木枠にセットします。台には、印刷用紙をセットします。
インクを練る
4.ローラーでインクを塗る。
 原紙の上からインクをつけたローラーを転がし、原紙の孔からインクを通し、用紙に印刷します。
ローラーでインクを塗る
5.完成。
完成


76.亀山演武場報 創刊号〜第五号
   昭和9年(1934)〜13年(1938) 加藤家
 亀山演武場での修練者の昇段や奉納演武など、演武場に関連する内容をまとめたものです。演武場で行われる心形刀流(しんぎょうとうりゅう)の代表である加藤文郎(ふみお)が謄写印刷・発行したものです。創刊号は昭和9年2月11日に発行されました。文郎は、加藤活版所創業者の一族でもありました。
76.亀山演武場報 創刊号〜第五号 76.亀山演武場報 創刊号〜第五号 76.亀山演武場報 創刊号〜第五号 76.亀山演武場報 創刊号〜第五号
76.亀山演武場報 創刊号〜第五号 76.亀山演武場報 創刊号〜第五号 76.亀山演武場報 創刊号〜第五号
亀山演武場報 創刊号〜第五号


77.丘友会(きゅうゆうかい)会則
   昭和30年(1955)頃 亀山市歴史博物館(鈴木家資料)
 亀山高等学校の同窓会である丘友会の会則を謄写印刷したものです。昭和30年に鈴鹿高等女学校同窓会において後進校の亀山高校の同窓会との合併が申し出され、翌年に両校の同窓会総会によって合併、会則承認がなされました。本資料は合併協議の資料として配付されたものとも考えられます。
77.丘友会会則
丘友会会則


78.電信用和文タイプライター
   昭和34年(1959) 亀山市歴史博物館(坂下民芸館資料)
 電報を打つために使われたタイプライターで、東京都の中島精密工業株式会社で昭和34年に製造された「Aspeed」という製品です。キーは全てカタカナです。
78.電信用和文タイプライター
電信用和文タイプライター


79.タイプライター操縦法(抜粋)
   昭和17年(1942) 亀山市歴史博物館(井野家資料)
 邦文タイプライターの標準的な機能に関する解説本です。刊行当時、すでに邦文タイプライターの種類が多く全機種について解説することはできないと記されていますから、普及していた様子がうかがえます。 標準的なタイプライターとして、105のパーツが図解されています。また、活字が摩滅(まめつ)や折れ、紛失などをした場合、活字の補充が急務となります。本書によれば、値段は1個につき2〜3銭程度であると記されています。
79.タイプライター操縦法(抜粋) 79.タイプライター操縦法(抜粋) 79.タイプライター操縦法(抜粋) 79.タイプライター操縦法(抜粋)
タイプライター操縦法(抜粋)


80.和文タイプライター
   昭和51年(1976) 亀山市歴史博物館(林家資料)
 日本タイプライター製のパンライターという製品です。和文タイプライターの最後の頃の製品です。漢字、ひらがな、カタカナ、大小英文字、アラビア数字、記号などの活字があります。印字したい文字の上にカーソルを移動してレバーを押すと拾い上げた活字で印字できる仕組みです。
80.和文タイプライター
和文タイプライター


81.日本語ワードプロセッサー
   平成10年(1998)発売 亀山市歴史博物館
 ワープロは、キーボードからの入力で文字が画面に表示され、プリントアウトできる機械です。本資料は、シャープ製のワープロ「書院」WD-C20です。カラー液晶画面が用いられています。
81.日本語ワードプロセッサー
日本語ワードプロセッサー

   


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