(1)鉄眼禅師による一切経開版
一切経は、仏典を集成したものです。日本においては、長らく書写による一切経整備が続き、版本の刊行は江戸時代まで成し遂げられませんでした。天台宗の宗存、天海によってその先鞭がつけられましたが、木活字によるものでした。木活字は、大量の版木の準備や保管の必要性がないという利点があるものの、再版に適さないため、継続的な出版につながりませんでした。
そこで、版木の雕造による一切経刊行を計画・実行したのが鉄眼でした。鉄眼は、全国から浄財を募って6,956巻の一切経の版木を完成させました(開版)。現在も48,275枚の版木(重要文化財)が残され、摺り続けられています。
一切経の刊行は、経典に関する学問を深化させるとともに、江戸時代の学問の水準を総合的に高めることに寄与しました。
5.鉄眼版一切経(一部) 〈市指定文化財〉
江戸時代後期 亀山市歴史博物館
円福寺経堂(住山町)に納められていたものです。
寛永寺(東京都台東区上野)の了翁禅師によって寄進されたものです。その記録は、黄檗版の納入先をまとめた「『全蔵漸請千字文朱点』簿」で確認できます。了翁が施入したという証は、経典に押印された朱印にも残されています。
装丁は全て方冊装(袋綴装)、黄檗に染めた表紙に藍染めの貼題箋を付し、転法輪と蓮の文様を描いた帙に納めています。
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6.江戸名所図会 十四
国立国会図書館デジタルコレクション
了翁禅師は、自戒と誓いのために負った傷が痛んだ際、夢で授けられた霊薬を服用したところ、たちまち癒えたそうです。その薬を他の患者にも用いたところ、全ての人に効いたため、「万病錦袋円」と名付けて売り出しました。その薬の儲けを使って一切経を全国に寄進しました。
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江戸名所図会 十四
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7.半田写本九々五集 巻三上 〈市指定文化財〉
元禄15年(1702) 亀山市歴史博物館
円福寺旧蔵の一切経は、元禄4年(1691)までに、寛永寺の錦袋円法印(了翁禅師)によって施入されました。了翁は、天台宗・真言宗・禅宗の3宗、あわせて全国21か寺に一切経を寄進しました。そのひとつが、円福寺でした。
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8.円福寺経堂・経堂内部 〈市指定文化財〉
享保19年(1734) 亀山市(まちなみ文化財G所管)
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円福寺経堂・経堂内部
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9.円福寺経堂創建棟札
亀山市(まちなみ文化財G所管)
一切経を納める経堂は、享保19年(1734)9月に創建されました。亀山城主板倉勝澄が建立したものです。内部には、一辺5尺(幅152.5cm、奥行152.0cm)の正方形、円柱で囲んだ厨子があり、厨子の側面と背面をコの字型に囲んだ4段の経棚を設けています。
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10.円福寺経堂内経典納置再現
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円福寺経堂内経典納置再現
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円福寺旧蔵鉄眼版一切経の施入者
了翁禅師によって寄進されたという円福寺旧蔵鉄眼版一切経ですが、経典の中には、寄進者名が墨書されているものがあります。井野作右衛門・岩田屋作右衛門・綿屋徳三郎・伊藤儀作・三嶋氏・道具屋太郎治・四日市屋周吉・櫻屋藤助・木下惣兵衛・尾州蒭尼智秀などの名前が確認できます。了翁による施入と有縁の人々による施入、それぞれの痕跡が残されていることから、どのように円福寺へ施入されたのかは今後検討すべき課題です。
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11.黄檗版一切経
江戸時代後期 亀山市内寺院
基本的には円福寺旧蔵一切経[出品番号5]と同じく方冊装、黄檗染表紙に藍染貼題箋を付しています。ただし、帙は藍染の布表装です。円福寺旧蔵一切経との大きな違いは、大般若経(大般若波羅蜜多経)の装丁です。折本装とし、黄檗染に朱の巻雲に丸竜文様、鼠色の帙に納めています。黄檗版は方冊装と折本装で版木が異なりますが、この大般若経は折本装のための版木を用いて摺られたものです。
また、経箱も方冊装・折本装、それぞれの形にあわせて納められています。
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黄檗版一切経
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12.亀山市内寺院本堂内一切経納置状況
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亀山市内寺院本堂内一切経納置状況
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13.経箱蓋
享保7年(1722) 亀山市内寺院
それぞれの経箱の蓋に残された墨書によれば、この黄檗版一切経は、享保7年(1722)に京都に住んでいた荒木伊右衛門光品によって施入されたものです。荒木伊右衛門は、同寺院へ什宝(子・太鼓)も寄進しており、支援者であったことがうかがえます。
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14.尋常小学国語読本巻十一
昭和4年(1929) 亀山市歴史博物館(坂下民芸館資料)
鉄眼禅師(京都府宇治市・萬福寺)の一切経開版事業について紹介しています。鉄眼は、全国各地をめぐって資金を募り開版事業を進めるのですが、災害を目にし、集めた財を2度、被災者へ提供しました。3度目の勧進により、ついに完成の運びとなりました。それは、事業の想起から17年、天和元年(1681)のことであったとまとめています。
この教科書は、尋常小学校の6年生が国語の修身的教材として使っていました。戦前、鉄眼と一切経開版事業は国民に広く知られたものでした。
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黄檗版一切経と伊勢国
鉄眼禅師は一切経開版にあたり、全国をめぐって寄進を募り、約8,000人から8,400両を得ました。寄進者・寄進額は、各巻末にある木記(枠で囲まれた出版の時期・場所・発行所などを記す部分)に記録されています。伊勢国の寄進者も確かめられます。
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コラム 字体にご注目ください!
明版の文字は、「明朝体」と呼ばれています。「明朝体」。いまやパソコンでよく使うフォント(字体)ではないでしょうか?その明朝体のもとが、紹介した「明版」[出品番号4]で使われている文字の形なのです。
さらに、鉄眼は、師匠の隠元隆gより贈られた万暦版一切経を底本とし、黄檗版を開版しました。つまり、黄檗版の書体も現在の明朝体の書体も、今回紹介した明版を元としています。どうぞ、それぞれの文字を比べてみてください。特徴は、縦線が太く、横線が細い形です。
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