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凡例  1.印刷のはじまり  2.版木の普及と拡大  3.亀山での印刷事業  4.普及する印刷  協力者・参考文献・出品一覧

2.版木の普及と拡大

 百万塔に納めた陀羅尼経(だらにきょう)以後、日本で行われる印刷は、木版印刷が主流となります。特に、木の板に文字を彫り、墨を塗り、紙に()り写すという版木による印刷がその大部分を占めました。江戸時代には、版木による印刷が隆盛を迎え、書籍、経典、絵図、札など多様な印刷物が刊行されました。


4.明版(みんぱん)二十一史(一部) 〈市指定文化財〉
   万暦年間(1573〜1619) 亀山市歴史博物
 明版とは、中国の明代(1368〜1644)に刊行された版本(はんぽん)の総称です。この明版二十一史は万暦(まんれき)年間(1573〜1619)に、北京国子監(こくしかん)で印刷されました。文字の形は、縦線が太く横線が細い、現在の「明朝体(みんちょうたい)」という書体の元となっています。また、方冊装(ほうさつそう)という、まず本紙のみ袋綴(ふくろとじ)の形に下綴じした冊子に表紙をつけて、四ツ目綴で綴じる装丁が盛んに用いられるようになったのも、万暦期からの特徴です。
 なお、『鈴鹿郡野史』によれば、この明版は、石川忠総が京都で内大臣中院通村(なかのいんみちむら)より金百両で買い受けたもので、この二十一史の存在により、儒学者の前田時棟(まえだときむね)を召し抱えられたのだと評価されています。
明版二十一史(一部)
明版二十一史(一部)

(1)鉄眼(てつげん)禅師による一切経開版

 一切経は、仏典を集成したものです。日本においては、長らく書写による一切経整備が続き、版本の刊行は江戸時代まで成し遂げられませんでした。天台宗の宗存(しゅうぞん)天海(てんかい)によってその先鞭がつけられましたが、木活字(もっかつじ)によるものでした。木活字は、大量の版木の準備や保管の必要性がないという利点があるものの、再版に適さないため、継続的な出版につながりませんでした。
 そこで、版木の雕造(ちょうぞう)による一切経刊行を計画・実行したのが鉄眼(てつげん)でした。鉄眼は、全国から浄財を募って6,956巻の一切経の版木を完成させました(開版(かいはん))。現在も48,275枚の版木(重要文化財)が残され、()り続けられています。
 一切経の刊行は、経典に関する学問を深化させるとともに、江戸時代の学問の水準を総合的に高めることに寄与しました。


5.鉄眼版(てつげんばん)一切経(一部) 〈市指定文化財〉
   江戸時代後期 亀山市歴史博物館
 円福寺(えんぷくじ)経堂(住山町)に納められていたものです。
 寛永寺(かんえいじ)(東京都台東区上野)の了翁(りょうおう)禅師によって寄進されたものです。その記録は、黄檗版(おうばくばん)の納入先をまとめた「『全蔵漸請千字文朱点(ぜんぞうぜんしょうせんじもんしゅてん)簿()」で確認できます。了翁が施入したという証は、経典に押印された朱印にも残されています。
 装丁は全て方冊装(ほうさつそう)(袋綴装)、黄檗(きはだ)に染めた表紙に藍染めの貼題箋(はりだいせん)を付し、転法輪(てんぽうりん)と蓮の文様を描いた(ちつ)に納めています。
5.鉄眼版一切経(一部) 5.鉄眼版一切経(一部) 5.鉄眼版一切経(一部)
鉄眼版一切経(一部)


6.江戸名所図会 十四
   国立国会図書館デジタルコレクション
 了翁(りょうおう)禅師は、自戒と誓いのために負った傷が痛んだ際、夢で授けられた霊薬を服用したところ、たちまち癒えたそうです。その薬を他の患者にも用いたところ、全ての人に効いたため、「万病錦袋円(まんびょうきんたいえん)」と名付けて売り出しました。その薬の儲けを使って一切経を全国に寄進しました。
6.江戸名所図会 十四
江戸名所図会 十四


7.半田写本九々五集 巻三上 〈市指定文化財〉
   元禄15年(1702) 亀山市歴史博物館
 円福寺旧蔵の一切経は、元禄4年(1691)までに、寛永寺の錦袋円(きんたいえん)法印(了翁禅師)によって施入されました。了翁は、天台宗・真言宗・禅宗の3宗、あわせて全国21か寺に一切経を寄進しました。そのひとつが、円福寺でした。
7.半田写本九々五集 巻三上 翻刻
翻刻(PDF)
半田写本九々五集 巻三上


8.円福寺経堂・経堂内部 〈市指定文化財〉
   享保19年(1734) 亀山市(まちなみ文化財G所管)
8.円福寺経堂 8.円福寺経堂内部
円福寺経堂・経堂内部


9.円福寺経堂創建棟札
   亀山市(まちなみ文化財G所管)
 一切経を納める経堂は、享保(きょうほう)19年(1734)9月に創建されました。亀山城主板倉勝澄が建立したものです。内部には、一辺5尺(幅152.5cm、奥行152.0cm)の正方形、円柱で囲んだ厨子(ずし)があり、厨子の側面と背面をコの字型に囲んだ4段の経棚を設けています。
9.円福寺経堂創建棟札 翻刻
翻刻(PDF)
円福寺経堂創建棟札


10.円福寺経堂内経典納置再現
10.円福寺経堂内経典納置再現
円福寺経堂内経典納置再現


 円福寺旧蔵鉄眼(てつげん)版一切経の施入者 
 了翁(りょうおう)禅師によって寄進されたという円福寺旧蔵鉄眼版一切経ですが、経典の中には、寄進者名が墨書されているものがあります。井野作右衛門・岩田屋作右衛門・綿屋徳三郎・伊藤儀作・三嶋氏・道具屋太郎治・四日市屋周吉・櫻屋藤助・木下惣兵衛・尾州蒭尼智秀などの名前が確認できます。了翁による施入と有縁の人々による施入、それぞれの痕跡が残されていることから、どのように円福寺へ施入されたのかは今後検討すべき課題です。


11.黄檗版一切経
   江戸時代後期 亀山市内寺院
 基本的には円福寺旧蔵一切経[出品番号5]と同じく方冊装、黄檗染表紙に藍染貼題箋を付しています。ただし、帙は藍染の布表装です。円福寺旧蔵一切経との大きな違いは、大般若経(だいはんにゃきょう)(大般若波羅蜜多経)の装丁(そうてい)です。折本(おりほん)装とし、黄檗染に朱の巻雲に丸竜文様、鼠色の帙に納めています。黄檗版は方冊装と折本装で版木が異なりますが、この大般若経は折本装のための版木を用いて()られたものです。
 また、経箱も方冊装・折本装、それぞれの形にあわせて納められています。
11.黄檗版一切経 11.黄檗版一切経
黄檗版一切経


12.亀山市内寺院本堂内一切経納置状況
12.亀山市内寺院本堂内一切経納置状況
亀山市内寺院本堂内一切経納置状況


13.経箱(ふた)
   享保7年(1722) 亀山市内寺院
 それぞれの経箱の蓋に残された墨書によれば、この黄檗版一切経は、享保7年(1722)に京都に住んでいた荒木伊右衛門光品によって施入されたものです。荒木伊右衛門は、同寺院へ什宝(じゅうほう)ばっ()・太鼓)も寄進しており、支援者であったことがうかがえます。
13.経箱蓋 一切経箱蓋表墨書
一切経箱蓋表墨書(PDF)
13.経箱蓋 一切経箱蓋裏墨書
一切経箱蓋裏墨書(PDF)
13.経箱蓋 大般若経箱蓋表墨書
大般若経箱蓋表墨書(PDF)
13.経箱蓋 大般若経箱蓋裏墨書
大般若経箱蓋裏墨書(PDF)
経箱蓋


14.尋常小学国語読本巻十一
   昭和4年(1929) 亀山市歴史博物館(坂下民芸館資料)
 鉄眼(てつげん)禅師(京都府宇治市・萬福寺(まんぷくじ))の一切経開版事業について紹介しています。鉄眼は、全国各地をめぐって資金を募り開版事業を進めるのですが、災害を目にし、集めた財を2度、被災者へ提供しました。3度目の勧進により、ついに完成の運びとなりました。それは、事業の想起から17年、天和(てんな)元年(1681)のことであったとまとめています。
 この教科書は、尋常小学校の6年生が国語の修身的教材として使っていました。戦前、鉄眼と一切経開版事業は国民に広く知られたものでした。
14.尋常小学国語読本巻十一 14.尋常小学国語読本巻十一 14.尋常小学国語読本巻十一 14.尋常小学国語読本巻十一
14.尋常小学国語読本巻十一 14.尋常小学国語読本巻十一
尋常小学国語読本巻十一


 黄檗版(おうばくばん)一切経と伊勢国 
 鉄眼禅師は一切経開版にあたり、全国をめぐって寄進を募り、約8,000人から8,400両を得ました。寄進者・寄進額は、各巻末にある木記(もっき)(枠で囲まれた出版の時期・場所・発行所などを記す部分)に記録されています。伊勢国の寄進者も確かめられます。
黄檗版一切経開版と伊勢国内寄進者
黄檗版一切経開版と伊勢国内寄進者(PDF)
黄檗版伊勢国寄進刊記 黄檗版伊勢国寄進刊記
黄檗版伊勢国寄進刊記


 コラム  字体にご注目ください! 
 明版(みんぱん)の文字は、「明朝体(みんちょうたい)」と呼ばれています。「明朝体」。いまやパソコンでよく使うフォント(字体)ではないでしょうか?その明朝体のもとが、紹介した「明版」[出品番号4]で使われている文字の形なのです。  さらに、鉄眼(てつげん)は、師匠の隠元隆g(いんげんりゅうき)より贈られた万暦版(まんれきばん)一切経を底本とし、黄檗版(おうばくばん)を開版しました。つまり、黄檗版の書体も現在の明朝体の書体も、今回紹介した明版を元としています。どうぞ、それぞれの文字を比べてみてください。特徴は、縦線が太く、横線が細い形です。
明版「明」 黄檗版「明」 MS明朝体「明」
明版「朝」 黄檗版「朝」 MS明朝体「朝」
「明朝体」書体


(2)版木による印刷の普及

 版木の摺写(しっしゃ)()り写し)による印刷は、江戸時代が最も盛んでした。版木から摺写したものをまとめた版本(はんぽん)の刊行、札や浮世絵など多様な印刷物が作られました。
 文字を読める人々の増加が版本の刊行につながったのではないでしょうか。版本刊行には大量の版木の開版が必要となりますが、市内でもその痕跡が残されています。江戸時代後期の市域には財力とともに事業の推進者となる人物の存在もあり、学問的・文化的に豊かさをもっていたことがうかがえます。


15.慧心僧都(えしんぞうず)念仏法語便蒙
   天保11年(1840) 亀山市歴史博物館(田中家寄託資料)
 鹹海(かんかい)(龍道)が、源信(げんしん)の「往生要集」を平易にしたものです。
 (こん)木記(もっき)に「勢州關福蔵寺藏板」とあるため、関町木崎の福藏寺で開版された版木で摺写(しっしゃ)したことがわかります。天保3年(1832)に完成した「慧心僧都念仏法語便蒙」に新たな出資者として鍋屋久兵衛と田中実行を得て、天保11年に福藏寺20世覚源和尚(かくげんわじょう)が関わり、何らかの開版作業があったのだろうと考えられます。(けん)(こん)で計74丁ですので、74枚の版木を要したことになります。
 文字や匡廓(きょうかく)の欠落などについて、天保3年刊本と天保11年刊本(福藏寺蔵板本)を比較すると同じ版木を用いているように見受けられることから、福藏寺が版木を購入した、または追加の刊行費用を提供した、といった可能性が考えられます。当時の福藏寺の力を考えるうえで重要な資料といえます。
15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙
15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙 15.慧心僧都念仏法語便蒙
15.慧心僧都念仏法語便蒙
慧心僧都念仏法語便蒙


16.版本妙法蓮華経
   江戸時代後期 正覚寺(井尻町)
 「慧心僧都念仏法語便蒙」の福藏寺版を開版した覚源和尚は、師である浄蓮寺(津市芸濃町楠原・天台真盛宗)の覚順が「造板奉行」として開版を主導した法華経山家本の開版にも携わりました。この法華経には、覚源以外にも、現在の亀山市域の人々が資金や資財を寄進し協力をしています。
16.版本妙法蓮華経 16.版本妙法蓮華経 16.版本妙法蓮華経 法華経山家本にかかる市域の施入者
法華経山家本にかかる市域の施入者(PDF)
版本妙法蓮華経


17.川北本陣図版木
   江戸時代後期 川北政廣家
 関宿の本陣であった川北本陣の内部を紹介した版木です。大名の一行や公用の侍に対して川北本陣の存在とその間取りを伝え、宿泊や次回の利用に繋げる目的で作成されたとみられます。
 版木に注目すると、文字の摩滅が見受けられます。多くの枚数が摺られたことが推測されます。
17.川北本陣図版木 17.川北本陣図版木 17.川北本陣図版木
川北本陣図版木


18.大般若経転読(だいはんにゃきょうてんどく)
   江戸時代後期 亀山市歴史博物館(宗英寺資料)
 大般若経の転読供養である大般若会(だいはんにゃえ)の際に摺る札の版木です。国家の安寧とともに法会の参列者の招福消除を祈る文言が記されています。摺った札は、参列者に配布されました。
18.大般若経転読札 18.大般若経転読札 18.大般若経転読札 18.大般若経転読札
大般若経転読札


19.大般若経宝牘(ほうとく)
   江戸時代後期 亀山市歴史博物館(宗英寺資料)
 同じく大般若経会の際に摺り、参列者に配布された札の版木です。
19.大般若経宝牘札 19.大般若経宝牘札 19.大般若経宝牘札 19.大般若経宝牘札
大般若経宝牘札


20.蚕守護牘札版木
   近代 亀山市内寺院
 上野登寺(うえやとうじ)で昭和末年頃まで行われた(まゆ)の豊作祈願の折に摺られ、養蚕(ようさん)農家に配布された札の版木です。札には、(かいこ)が糸を出し繭が豊作となるよう祈りが添えられています。
 上野登寺の本尊が桑の木で造られた千手観音像であるという由来をもつことから、桑を餌とする蚕の豊作祈願が行われるようになったと考えられます。
20.蚕守護牘札版木
蚕守護牘札版木


21.蚕守護牘札
   近代 亀山市歴史博物館
 版木[出品番号20]から摺られ、配られた札です。
21.蚕守護牘札
蚕守護牘札


22.保永堂(ほえいどう)版 東海道五十三次之内亀山雪晴
   天保4年(1833)〜5年(1834) 亀山市歴史博物館
 歌川広重が京口門を描いた浮世絵です。浮世絵は多色摺りの版画ですので、染料ごとの版木を作成し、色ごとに摺りわけます。3枚をくらべると摺師(すりし)による違いが見られます。青空と朝焼けの部分の幅や濃さが異なります。その他にも、染料と摺りの差が、木の枝や冠木門(かぶきもん)を描く茶色の濃淡、石垣の濃淡として現れています。
22.保永堂版 東海道五十三次之内亀山雪晴 22.保永堂版 東海道五十三次之内亀山雪晴 22.保永堂版 東海道五十三次之内亀山雪晴
保永堂版 東海道五十三次之内亀山雪晴


   


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