印刷された年がわかる最古の資料は、百万塔に納められた無垢浄光陀羅尼経です。内乱に対する追悼と国家安泰を願って、百万基が造られました。塔内に納める経典は、百万枚を用意する必要がありました。そのため、初めて印刷という手法が選ばれました。
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1.百万塔
奈良時代 安堵町歴史民俗資料館
木製の三重の小塔です。現在は、生地になっていますが、部分的に白土が残っていますので、完成した時には白土を全面に塗った姿でした。
また、相輪部の底面と塔身部の第三層笠上面の2か所に墨書があり、工人の名前だと考えられます。これまでに250名あまりの名前が確認されていますので、その一人かもしれません。
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2.無垢浄光陀羅尼経(自心印陀羅尼経)
奈良時代 安堵町歴史民俗資料館
天平宝字8年(764)から宝亀元年(770)に印刷されたことがわかっている最古の印刷物です。紙は黄檗染の麻紙を使っています。ただ、印刷方法は、木版と銅版の2つの案が出され、木版印刷によるとの見解が強いものの、いまだ明らかになっていません。
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無垢浄光陀羅尼経(自心印陀羅尼経)
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3.続日本紀 巻二十九・三十
江戸時代後期 個人
天平宝字8年(764)に起こった恵美押勝の乱に対する追悼と国家安泰を願い、称徳天皇が三重の小塔百万基の造立を命じました。宝亀元年(770)4月26日(戊午)に完成し、小塔はいくつかの寺へ納められ、また関わった人々157人に褒賞を与えました。
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続日本紀 巻二十九・三十
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書き下し文
宝亀元年(七七〇)四月戊午(二六)条
初め、天皇、八年の乱平らきて、乃ち弘願を発して、三重の小塔一百万基を造らしむ。高さ各四寸五分、基の径三寸五分、露盤の下に、各根本・慈心・相輪・六度等の陀羅尼を置く。是に至りて功畢りて、諸寺に分かち置く。事に供する官人已下仕丁已上、一百五十七人に爵を賜ふこと各差有り。
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実物の百万塔と『続日本紀』の記録
『続日本紀』では、高さ四寸五分、直径三寸五分であると記されています。本百万塔の高さは、総高21.5cm、塔身部13.2cm、直径10.8cmであることから、塔身部の高さと直径が記録と合致しています。
同様に、経典についても、相輪の基部である露盤の下に4種類の陀羅尼経(根本・慈(自)心・相輪・六度)を納めると記されています。本経典は、無垢浄光陀羅尼経の自心印陀羅尼経であり、露盤の下、つまり相輪の下の塔身部に穿たれた孔に納められており、記録と合致しています。
なお、百万塔の作成期間は、天平宝字8年(764)9月から宝亀元年(770)4月までの5年半ですので、1日のノルマとして塔身部・相輪部それぞれ約500基を作成することになります。
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