亀山(かめやま)の荘園(しょうえん)
律令(りつりょう)のもとでは、土地(とち)はすべて国(くに)のもので、農民(のうみん)は田(た)を耕作(こうさく)するかわりに税(ぜい)を納(おさ)めることとなっていました。しかし、田畑(たはた)を自分(じぶん)で開(ひら)いた人(ひと)や土地(とち)の寄付(きふ)を受(う)けた都(みやこ)の貴族(きぞく)や大(おお)きな寺(てら)や神社(じんじゃ)などは土地(とち)を持(も)つことが許(ゆる)されました。このような土地(とち)を荘園(しょうえん)とよび、亀山市内(かめやましない)にも数多(かずおお)くの荘園(しょうえん)がありました。
亀山市内(かめやましない)の荘園(しょうえん)の移(うつ)り変(か)わり
亀山市域(かめやましいき)の荘園(しょうえん)は、藤原氏(ふじわらし)の一族(いちぞく)や大(おお)きな寺院(じいん)、伊勢神宮(いせじんぐう)などが領主(りょうしゅ)でした。亀山市域(かめやましいき)と都(みやこ)などほかの地域(ちいき)とは荘園(しょうえん)を支配(しはい)する人々(ひとびと)との関係(かんけい)の中(なか)で深(ふか)まってゆきます。市域(しいき)にはどんな荘園(しょうえん)があったのか調(しら)べてみましょう。