昼生荘(ひるおのしょう)
上荘(かみしょう)・中荘(なかしょう)・下荘(しもしょう)に分(わ)かれており、現在(げんざい)の昼生地域(ひるおちいき)にあたるとみられます。昼生荘(ひるおのしょう)は伊勢神宮(いせじんぐう)の荘園(しょうえん)ですが、その管理(かんり)は藤原氏(ふじわらし)の一族(いちぞく)である中御門氏(なかみかどし)や西園寺氏(さいおんじし)がかかわっていました。また、実際(じっさい)の支配(しはい)をめぐって関氏(せきし)と長野氏(ながのし)との間(あいだ)で争(あらそ)いがあり、1448年(ねん)(文安(ぶんあん)5年(ねん))には昼生(ひるお)で戦(たたか)いとなっています。