1時間でめぐる歴史旅行

亀山南小学校 4年生 出前授業「よりよい地域をつくった人~鈴鹿川・椋川と生田理左衛門~」

亀山南小学校 4年生 出前授業「よりよい地域をつくった人~鈴鹿川・椋川と生田理左衛門~」

 令和8年1月30日(金)、亀山市立亀山南小学校4年生へ出前授業に行きました。4年生は、社会科で「郷土の伝統・文化と先人たち」の学習をしています。そこで「よりよい地域をつくった人びと」の学習として、備中国松山(今の岡山県高梁市)から亀山に移り住んだ大名石川家の家来だった生田理左衛門の一生を追いながら、江戸時代に理左衛門が行った鈴鹿川・椋川の河川改修について、途中でクイズを交えながら話をしました。みんなしっかりとメモを取りながら、熱心に話を聞いてくれました。

よりよい地域をつくった人~鈴鹿川・椋川と生田理左衛門~
河川改修とは、洪水を防ぐために堤防を作ったり、川幅を広げたり・・・
生田理左衛門は、備中国松山藩、今の岡山県高梁市で生まれました。
24歳の時、備前国岡山藩へ行き、熊沢蕃山から、河川改修を学びました。
4年生の理科で学ぶことですが、川がグネグネ曲がっていると、大雨が降って川の水が増えると・・・
江戸時代に書かれた手紙の中に、関宿や亀山が台風によって川が氾濫し、大きな被害が出たことが書き残されています。
ここでクイズです。生田理左衛門が行った鈴鹿川の河川改修は、A「川の底を深く掘る」B「川の流れをまっすぐにする」どちらでしょう?
生田理左衛門が鈴鹿川の改修をした場所は、福良子と呼ばれているところで、忍山神社の辺りです。
現在の写真で見ると、ここになります。
鈴鹿川には、今も、その時の工事でたてられたと考えられる杭が残っています。
椋川も川をまっすぐにし、川幅を広げました。
73才で亡くなった生田理左衛門の墓は、本久寺にあります。

〒519-0151 三重県亀山市若山町7-30
電話:0595-83-3000/Fax:0595-83-3334
[休館日] 毎火曜日(祝日に当たるときは翌水曜日)・臨時休館日・年末年始

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