櫓(やぐら)
敵(てき)の攻撃(こうげき)を防(ふせ)いだり武器(ぶき)を保管(ほかん)しておくために曲輪(くるわ)のはしの土塁(どるい)や石垣(いしがき)の上(うえ)に建(た)てられた建物(たてもの)を櫓(やぐら)といいます。役割(やくわり)や建(た)てられた場所(ばしょ)、かたちなどによって名前(なまえ)がつけられています。
多門櫓(たもんやぐら)
多門(たもん)とは長屋(ながや)のように細長(ほそなが)い建物(たてもの)のことです。細長(ほそなが)い櫓(やぐら)を多門櫓(たもんやぐら)と呼(よ)んでいました。亀山城(かめやまじょう)にもいくつかの多門櫓(たもんやぐら)があったのですが、現在(げんざい)は本丸(ほんまる)にあった多門櫓(たもんやぐら)だけがのこされています。
本丸多門櫓(ほんまるたもんやぐら)
本丸(ほんまる)の南東隅(なんとうすみ)の石垣(いしがき)の上(うえ)に建(た)つ多門櫓(たもんやぐら)で、ほかの多門櫓(たもんやぐら)がすべてとりこわされたので多門櫓(たもんやぐら)と言(い)えばこの櫓(やぐら)のことをさすようになりました。
本丸多門櫓(ほんまるたもんやぐら)
多門櫓(たもんやぐら)の大(おお)きさ
多門櫓(たもんやぐら)の大(おお)きさは、南北(なんぼく)10.9m、東西(とうざい)15.8m、幅(はば)5.5m、高(たか)さは5.5mあります。
多門櫓(たもんやぐら)の役割(やくわり)
多門櫓(たもんやぐら)の修理工事(しゅうりこうじ)の際(さい)に、瓦(かわら)や板(いた)に「武器蔵(ぶきぐら)」と書(か)かれていましたので、多門櫓(たもんやぐら)には武器(ぶき)が保管(ほかん)されていたことがわかりました。
多門櫓(たもんやぐら)の特長(とくちょう)
多門櫓(たもんやぐら)は上(うえ)から見(み)た形(かたち)がL字形(じがた)になっています。このような形(かたち)の多門櫓(たもんやぐら)は全国(ぜんこく)でも大坂城乾櫓(おおさかじょういぬいやぐら)が残(のこ)っているだけです。また、全国(ぜんこく)で多門櫓(たもんやぐら)がのこっている城(しろ)は、江戸(えど)、金沢(かなざわ)、掛川(かけがわ)、亀山(かめやま)、彦根(ひこね)、大阪(おおさか)、姫路(ひめじ)、高松(たかまつ)、伊予松山(いよまつやま)、高知(こうち)、福岡(ふくおか)、熊本(くまもと)の12の城(しろ)だけです。
なぜ残(のこ)っているのか
1873年(ねん)(明治(めいじ)6年(ねん))、全国(ぜんこく)の城(しろ)のほとんどを廃止(はいし)することが決(き)まりました。このため、亀山城(かめやまじょう)の建物(たてもの)も全部(ぜんぶ)とりこわされることになりました。このことを亀山藩(かめやまはん)の武士(ぶし)だった人々(ひとびと)がおしんで多門櫓(たもんやぐら)を買(か)い取(と)り、仕事(しごと)を失(うしな)った武士(ぶし)のために木綿(もめん)の敷物(しきもの)を織(お)って作業場(さぎょうば)としました。このため、多門櫓(たもんやぐら)だけは元(もと)の場所(ばしょ)にそのままのこることになりました。