亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)家臣(かしん)の住(す)むところ

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

家臣(かしん)の住(す)むところ

東三之丸(ひがしさんのまる)と西之丸(にしのまる)は、亀山藩(かめやまはん)の主(おも)だった武士(ぶし)の屋敷(やしき)がありました。また、城(しろ)の周辺(しゅうへん)は武士(ぶし)の屋敷(やしき)が取(と)り囲(かこ)んでいました。このような屋敷(やしき)を「家中屋敷(かちゅうやしき)」とよんでいます。

 

加藤家屋敷跡(かとうけやしきあと)

西之丸(にしのまる)あとに武家屋敷(ぶけやしき)がのこっています。ここは、亀山藩(かめやまはん)の家老(かろう)の屋敷(やしき)あとで、江戸時代(えどじだい)の終(お)わりごろは、亀山藩(かめやまはん)家老(かろう)加藤家(かとうけ)の屋敷(やしき)となっていました。

 

加藤家(かとうけ)長屋門(ながやもん)

亀山藩(かめやまはん)家老(かろう)加藤家(かとうけ)の表門(おもてもん)で、横(よこ)に小(ちい)さな部屋(へや)がならぶ細長(ほそなが)い建物(たてもの)がくっついていますので長屋門(ながやもん)と言(い)います。江戸時代(えどじだい)の終(お)わりごろ、今(いま)から200年(ねん)ほど前(まえ)に建(た)てられたとみられます。

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