亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)土蔵(どぞう)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

土蔵(どぞう)

(しろ)には、戦(たたか)いにそなえて、食(た)べ物(もの)や武器(ぶき)をたくわえておく必要(ひつよう)がありました。これらを納(おさ)めておく壁(かべ)が厚(あつ)く火事(かじ)や地震(じしん)に強(つよ)いじょうぶな建物(たてもの)を土蔵(どぞう)といいます。

 

御城米蔵(ごじょうまいぐら)

亀山城(かめやまじょう)には、戦(たたか)いが起(お)こった時(とき)などに備(そな)えて、幕府(ばくふ)からたくさんの米(こめ)を預(あず)かっていました。これを御城米(ごじょうまい)と呼(よ)びます。御城米(ごじょうまい)をしまっておく米蔵(こめぐら)は、西出丸(にしでまる)(現在(げんざい)の亀山公園(かめやまこうえん)テニスコートと駐車場(ちゅうしゃじょう))に建(た)てられていました。

 

鉄砲蔵(てっぽうぐら)のどろぼう

1837年(ねん)(天保(てんぽう)8年(ねん))4月(がつ)に鉄砲蔵(てっぽうぐら)にどろぼうが入(はい)って管理(かんり)していた武士(ぶし)が罰(ばつ)をうけたという記録(きろく)があります。鉄砲蔵(てっぽうぐら)は本丸(ほんまる)にあったようなので、城(しろ)の一番(いちばん)中心(ちゅうしん)にある蔵(くら)にどろぼうが入ったということになります。

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