亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)埋門(うずみもん)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

埋門(うずみもん)

(たか)い曲輪(くるわ)から低(ひく)い曲輪(くるわ)への出入(でい)り口(ぐち)となる小(ちい)さな門(もん)で、高(たか)い曲輪(くるわ)から地下(ちか)にもぐってゆくようにみえるので埋門(うずみもん)といいます。

 

二之丸北埋門(にのまるきたうずみもん)のあと

二之丸(にのまる)から二之丸北側(にのまるきたがわ)にある帯曲輪(おびぐるわ)への出入(でい)り口(ぐち)となる埋門(うずみもん)のあとがみつかっています。みつかったときのじょうたいをみることができるように整備(せいび)されています。

 

二之丸北埋門(にのまるきたうずみもん)の使(つか)われかた

二之丸北埋門(にのまるきたうずみもん)は、江戸時代(えどじだい)のおわりごろには門(もん)の扉(とびら)があった場所(ばしょ)に、黒(くろ)いきれいな小石(こいし)をしきつめていました。花畑(はなばたけ)や庭(にわ)の一部(いちぶ)として使(つか)われていた二之丸北帯曲輪(にのまるきたおびぐるわ)へ城主(じょうしゅ)など身分(みぶん)の高(たか)い人(ひと)が通(とお)るため、見(み)た目(め)をきれいにしたようです。

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