帯曲輪(おびぐるわ)
本丸(ほんまる)や二之丸(にのまる)など重要(じゅうよう)な曲輪(くるわ)を守(まも)るために、曲輪(くるわ)の外側(そとがわ)の一段(いちだん)低(ひく)いところに造(つく)られた小(ちい)さな曲輪(くるわ)です。幅(はば)がせまく細長(ほそなが)いので帯曲輪(おびぐるわ)と言(い)います。亀山城(かめやまじょう)では5ヶ所(かしょ)の帯曲輪(おびぐるわ)がありました。
二之丸北帯曲輪(にのまるきたおびぐるわ)
二之丸北側(にのまるきたがわ)の帯曲輪(おびぐるわ)は、亀山城主(かめやまじょうしゅ)の屋敷(やしき)がある二之丸(にのまる)の守(まも)りを固(かた)めるために造(つく)られました。二之丸(にのまる)と帯曲輪(おびぐるわ)の上下(じょうげ)から鉄砲(てっぽう)や矢(や)をうてるようにしています。発掘(はっくつ)や古(ふる)い図面(ずめん)などを調(しら)べてむかしの姿(すがた)に復元(ふくげん)されています。
復元(ふくげん)された二之丸帯曲輪(にのまるおびくるわ)
二之丸帯曲輪(にのまるおびぐるわ)の使(つか)われかた
帯曲輪(おびぐるわ)はもともと城(しろ)を守(まも)るためにつくられています。しかし、二之丸北帯曲輪(にのまるきたおびぐるわ)からは、きれいな石(いし)をくみあわせたみぞや水(みず)をためておく場所(ばしょ)がみつかっています。戦(たたか)いがない時代(じだい)が続(つづ)いたので、江戸時代(えどじだい)のおわりごろには。花畑(はなばたけ)や庭(にわ)の一部(いちぶ)として使(つか)われていたようです。