亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)帯曲輪(おびぐるわ)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

帯曲輪(おびぐるわ)

本丸(ほんまる)や二之丸(にのまる)など重要(じゅうよう)な曲輪(くるわ)を守(まも)るために、曲輪(くるわ)の外側(そとがわ)の一段(いちだん)(ひく)いところに造(つく)られた小(ちい)さな曲輪(くるわ)です。幅(はば)がせまく細長(ほそなが)いので帯曲輪(おびぐるわ)と言(い)います。亀山城(かめやまじょう)では5ヶ所(かしょ)の帯曲輪(おびぐるわ)がありました。

 

二之丸北帯曲輪(にのまるきたおびぐるわ)

二之丸北側(にのまるきたがわ)の帯曲輪(おびぐるわ)は、亀山城主(かめやまじょうしゅ)の屋敷(やしき)がある二之丸(にのまる)の守(まも)りを固(かた)めるために造(つく)られました。二之丸(にのまる)と帯曲輪(おびぐるわ)の上下(じょうげ)から鉄砲(てっぽう)や矢(や)をうてるようにしています。発掘(はっくつ)や古(ふる)い図面(ずめん)などを調(しら)べてむかしの姿(すがた)に復元(ふくげん)されています。



  復元(ふくげん)された二之丸帯曲輪(にのまるおびくるわ)

 

二之丸帯曲輪(にのまるおびぐるわ)の使(つか)われかた

帯曲輪(おびぐるわ)はもともと城(しろ)を守(まも)るためにつくられています。しかし、二之丸北帯曲輪(にのまるきたおびぐるわ)からは、きれいな石(いし)をくみあわせたみぞや水(みず)をためておく場所(ばしょ)がみつかっています。戦(たたか)いがない時代(じだい)が続(つづ)いたので、江戸時代(えどじだい)のおわりごろには。花畑(はなばたけ)や庭(にわ)の一部(いちぶ)として使(つか)われていたようです。

ページの先頭(せんとう)に戻(もど)る
トップページへもどる
  • 亀山市歴史博物館(かめやましれきしはくぶつかん)
  • 亀山市史(かめやましし)
  • 亀山市(かめやまし)ホームページ
  • 日本博物館協会(にほんはくぶつかんきょうかい)
  • 三重県博物館協会(みえけんはくぶつかんきょうかい)