亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)土塁(どるい)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

土塁(どるい)

曲輪(くるわ)のまわりには高(たか)い土手(どて)を築(きず)いたり、斜面(しゃめん)を急(きゅう)な角度(かくど)にして敵(てき)が攻(せ)めてこられないようにしていました。このような土手(どて)や斜面(しゃめん)のことを土塁(どるい)と言(い)います。亀山城(かめやまじょう)のまわりはすべて土塁(どるい)によって守(まも)られていました。


二之丸北帯曲輪土塁(にのまるきたおびぐるわどるい)

二之丸北側(にのまるきたがわ)の帯曲輪(おびぐるわ)の外側(そとがわ)は土塁(どるい)となっています。この土塁(どるい)の角度(かくど)は37°の急(きゅう)な斜面(しゃめん)となっています。



  二之丸北帯曲輪土塁(にのまるきたおびぐるわどるい)
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