亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)松平乗邑(まつだいらのりさと)(大給(おぎゅう))

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

松平乗邑(まつだいらのりさと)(大給(おぎゅう))

 宝永(ほうえい)7年(ねん)(1710年(ねん))、板倉重治(いたくらしげはる)のあとに志摩国鳥羽(しまのくにとば)から6万石(まんごく)の大名(だいみょう)として松平乗邑(まつだいらのりさと)がやってきました。乗邑(のりさと)は、亀山城主(かめやまじょうしゅ)を勤(つと)めている間(あいだ)に、亀山(かめやま)での行政(ぎょうせい)や財政(ざいせい)、工事(こうじ)、消防(しょうぼう)、町(まち)や村(むら)に関(かん)することなどを10冊(さつ)の記録(きろく)にまとめた「亀山拾冊(かめやまじっさつ)」(西尾市資料館(にしおししりょうかん)松明院文書(しょうみょういんもんじょ))をのこしました。また、松平家(まつだいらけ)の教(おし)えである「亀山訓(かめやまくん)」(西尾市資料館(にしおししりょうかん)松明院文書(しょうみょういんもんじょ))を書(か)きのこしました。
 享保(きょうほう)2年(ねん)(1717年(ねん))、松平乗邑(まつだいらのりさと)は、山城国淀(やましろのくによど)へ移(うつ)り、志摩国鳥羽(しまのくにとば)から再(ふたた)び板倉重治(いたくらしげはる)が、亀山城主(かめやまじょうしゅ)としてやってきました。
 なお、松平乗邑(まつだいらのりさと)は、山城国淀(やましろのくによど)へ移(うつ)った後(あと)、下総国佐倉(しもうさのくにさくら)へと移(うつ)りますが、佐倉城主(さくらじょうしゅ)のときに、徳川幕府(とくがわばくふ)の老中(ろうじゅう)として、徳川吉宗(とくがわよしむね)の享保(きょうほう)の改革(かいかく)に力(ちから)をつくしています。

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