石川昌勝(いしかわまさかつ)
慶安(けいあん)4年(ねん)(1652年(ねん))、本多俊次(ほんだとしつぐ)のあとに近江国(おうみのくに)膳所(ぜぜ)から五万石(ごまんごく)の大名(だいみょう)としてやってきたのが、石川昌勝(いしかわまさかつ)だ。つまり石川家(いしかわけ)と本多家(ほんだけ)は、互(たが)いの領地(りょうち)を交換(こうかん)するかたちでそれぞれの領地(りょうち)へ移動(いどう)していったんだ。
慶安(けいあん)4年(ねん)(1652年(ねん))、本多俊次(ほんだとしつぐ)のあとに近江国(おうみのくに)膳所(ぜぜ)から五万石(ごまんごく)の大名(だいみょう)としてやってきたのが、石川昌勝(いしかわまさかつ)だ。つまり石川家(いしかわけ)と本多家(ほんだけ)は、互(たが)いの領地(りょうち)を交換(こうかん)するかたちでそれぞれの領地(りょうち)へ移動(いどう)していったんだ。