亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)代官(だいかん)水谷九左衛門(みずたにきゅうざえもん)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

代官(だいかん)水谷九左衛門(みずたにきゅうざえもん)

水谷九左衛門(みずたにきゅうざえもん)は、幕府(ばくふ)の四日市(よっかいち)代官(だいかん)(幕府(ばくふ)の領地(りょうち)を管理(かんり)する役人(やくにん))として、四日市(よっかいち)の陣屋(じんや)にすんでいたよ。松平忠明(まつだいらただあきら)が大阪(おおさか)へ移(うつ)ったあとの亀山(かめやま)には領主(りょうしゅ)がいなかったので、亀山領地(かめやまりょうち)の管理(かんり)をしていたんだ。なぜ、水谷九左衛門(みずたにきゅうざえもん)が選(えら)ばれたのかを推測(すいそく)すると、関宿(せきじゅく)は徳川家康(とくがわいえやす)が幕府(ばくふ)を開(ひら)く以前(いぜん)から、徳川家康(とくがわいえやす)の領地(りょうち)だったんだ。そして松平忠明(まつだいらただあきら)が亀山城主(かめやまじょうしゅ)の間(あいだ)だけ亀山領(かめやまりょう)だったんだけど、彼(かれ)が大阪(おおさか)へ移(うつ)ったので再(ふたた)び幕府領(ばくふりょう)になって、そのときの代官(だいかん)が水谷九左衛門(みずたにきゅうざえもん)だったからかな。

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