亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)松平忠明(まつだいらただあきら)(奥平(おくだいら)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

松平忠明(まつだいらただあきら)(奥平(おくだいら)

慶長(けいちょう)15年(ねん)(1610年(ねん))、関一政(せきかずまさ)にかわって亀山城主(かめやまじょうしゅ)として亀山領(かめやまりょう)五万石(ごまんごく)を治(おさ)めたのが松平忠明(まつだいらただあきら)だ。彼(かれ)は徳川家康(とくがわいえやす)の娘(むすめ)、亀姫(かめひめ)の子(こ)どもなんだ。つまり家康(いえやす)の外孫(そとまご)だね。慶長(けいちょう)19年(ねん)から慶長(けいちょう)20年(ねん)(1614年(ねん)―1615年(ねん))に、徳川家(とくがわけ)が豊臣家(とよとみけ)をほろぼした大坂(おおさか)(ふゆ)の陣(じん)、夏(なつ)の陣(じん)に出陣(しゅつじん)しているよ。そして戦(たたか)いが終(お)わった慶長(けいちょう)20年(ねん)(元和(げんな)元年(がんねん))、摂津国(せっつのくに)大坂城主(おおさかじょうしゅ)になったよ。

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