松平忠明(まつだいらただあきら)(奥平(おくだいら))
慶長(けいちょう)15年(ねん)(1610年(ねん))、関一政(せきかずまさ)にかわって亀山城主(かめやまじょうしゅ)として亀山領(かめやまりょう)五万石(ごまんごく)を治(おさ)めたのが松平忠明(まつだいらただあきら)だ。彼(かれ)は徳川家康(とくがわいえやす)の娘(むすめ)、亀姫(かめひめ)の子(こ)どもなんだ。つまり家康(いえやす)の外孫(そとまご)だね。慶長(けいちょう)19年(ねん)から慶長(けいちょう)20年(ねん)(1614年(ねん)―1615年(ねん))に、徳川家(とくがわけ)が豊臣家(とよとみけ)をほろぼした大坂(おおさか)冬(ふゆ)の陣(じん)、夏(なつ)の陣(じん)に出陣(しゅつじん)しているよ。そして戦(たたか)いが終(お)わった慶長(けいちょう)20年(ねん)(元和(げんな)元年(がんねん))、摂津国(せっつのくに)大坂城主(おおさかじょうしゅ)になったよ。