大和街道(やまとかいどう)の2つにわかれた宿場(しゅくば)加太宿(かぶとしゅく)
東海道(とうかいどう)と大和街道(やまとかいどう)が別(わか)れる関(せき)の西(にし)の追分(おいわけ)から、加太村(かぶとむら)―大岡寺峠(だいこうじとうげ)―伊賀国(いがのくに)―山城国北笠置村(やましろのくにきたかさぎむら)(京都府(きょうとふ)相楽郡(そうらくぐん)笠置町(かさぎちょう))―梅谷村(うめたにむら)(京都府(きょうとふ)木津川市(きづかわし))―大和国奈良坂村(やまとのくにならさかむら)(奈良県(ならけん)奈良市(ならし))に至(いた)る街道(かいどう)を大和街道(やまとかいどう)といいます。関(せき)の西(にし)の追分(おいわけ)に建(た)つ谷口法悦(たにぐちほうえつ)題目塔(だいもくとう)には、「ひたりハいかやまとみち」(左(ひだり)ハ伊賀大和道(いがやまとみち))と刻(きざ)まれています。
大和街道(やまとかいどう)には、馬(うま)で荷物(にもつ)を継(つ)ぎ立(た)てる宿継問屋(しゅくつぎどんや)が加太村市場(かぶとむらいちば)にありました。また津城主(つじょうしゅ)藤堂家(とうどうけ)が休泊(きゅうはく)する施設(しせつ)である御茶屋(おちゃや)が加太村板屋(かぶとむらいたや)にありました。
加太宿(かぶとしゅく)は、場所(ばしょ)が離(はな)れた市場(いちば)と板屋(いたや)をそれぞれ下加太宿(しもかぶとしゅく)、上加太宿(かみかぶとしゅく)と呼(よ)び二(ふた)つ合(あ)わせて加太宿(かぶとしゅく)とよばれていました。
2つにわかれた加太宿(かぶとしゅく)
谷口法悦(たにぐちほうえつ)題目塔(だいもくとう)(関町新所(せきちょうしんじょ))
谷口法悦(たにぐちほうえつ)題目塔(だいもくとう)(関町新所(せきちょうしんじょ))