地域(ちいき)の開発(かいはつ)
弥生時代(やよいじだい)から、市域(しいき)では田畑(たはた)がひらかれてきました。人々(ひとびと)のくらしとは別(べつ)に、奈良(なら)・平安時代(へいあんじだい)になると、国(くに)によって道(みち)や役所(やくしょ)、関(せき)などが整備(せいび)され地域(ちいき)としてのかたちができあがってゆきます。特(とく)に亀山市域(かめやましいき)は平城京(へいじょうきょう)・平安京(へいあんきょう)から東(ひがし)へ向(む)かう重要(じゅうよう)な場所(ばしょ)でしたので、現在(げんざい)の三重県北中部(みえけんほくちゅうぶ)の重要(じゅうよう)な施設(しせつ)は、亀山市(かめやまし)から鈴鹿市(すずかし)にかけてのちいきに集中(しゅうちゅう)していました。