田(た)を開(ひら)く
亀山市域(かめやましいき)は、谷(たに)が入(い)り組(く)んだ複雑(ふくざつ)な地形(ちけい)をしています。むかしの人々(ひとびと)はこの地形(ちけい)を活(い)かして、川(かわ)の近(ちか)くではなく、谷(たに)や斜面(しゃめん)の上(うえ)の方(ほう)から、わき水(みず)をひいて水田(すいでん)をひらいてきました。現在(げんざい)の市内(しない)の水田(すいでん)は、長(なが)い時間(じかん)をかけて少(すこ)しづつ開発(かいはつ)されてきたものです。
辺法寺(へんぼうじ)の水田開発(すいでんかいはつ)
辺法寺町(へんぼうじちょう)の網中遺跡(あみなかいせき)からは、古代(こだい)の水田跡(すいでんあと)がみつかっています。水田(すいでん)は、谷(たに)の底(そこ)から少(すこ)しずつ土(つち)を入(い)れて平(たい)らな面(めん)を広(ひろ)げて作(つく)られています。このくりかえしを何百年(なんびゃくねん)と続(つづ)けることによって3mも土(つち)をつみあげて現在(げんざい)のような広(ひろ)い水田(すいでん)となっています。なお、網中遺跡(あみなかいせき)の場所(ばしょ)で最初(さいしょ)に水田(すいでん)をつくり始(はじ)めたのは、約(やく)1000年(ねん)ほど前(まえ)の事(こと)と考(かんが)えられます。
坂本棚田(さかもとたなだ)
山(やま)に近(ちか)い場所(ばしょ)では、小(ちい)さい谷(たに)の中(なか)に広(ひろ)い田(た)を作(つく)ることができませんので、斜面(しゃめん)に土(つち)を積(つ)み上(あ)げて田(た)を作(つく)ります。こうしてできた水田(すいでん)は段々(だんだん)になっていることから棚田(たなだ)とよばれます。安坂山町坂本(あさかやまちょうさかもと)の棚田(たなだ)は、500年(ねん)ほど前(まえ)に開(ひら)かれたと伝(つた)えられており、約(やく)23万(まん)u、約(やく)440枚(まい)田(た)が広(ひろ)がり、日本(にほん)の棚田(たなだ)100選(せん)に選(えら)ばれています。