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>亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)>石川総慶(いしかわふさよし)・総堯(ふさたか)・総純(ふさずみ)・総博(ふさひろ)・総師(ふさのり)・総佐(ふさすけ)・総安(ふさやす)・総惠(ふさかつ)・総禄(ふさよし)・総脩(ふさなが)・成之(なりゆき)
石川総慶(いしかわふさよし)・総堯(ふさたか)・総純(ふさずみ)・総博(ふさひろ)・総師(ふさのり)・総佐(ふさすけ)・総安(ふさやす)・総惠(ふさかつ)・総禄(ふさよし)・総脩(ふさなが)・成之(なりゆき)
延享元年(えんきょうがんねん)(1744年(ねん))、備中国松山(びっちゅうのくにまつやま)から、石川総慶(いしかわふさよし)がやってきました。石川家(いしかわけ)が亀山城主(かめやまじょうしゅ)になるのは、石川昌勝(いしかわまさかつ)が亀山(かめやま)へ移(うつ)ってきた慶安(けいあん)4年(ねん)(1651年(ねん))以来(いらい)、2回目(かいめ)となります。
石川家(いしかわけ)は、これ以後(いご)、明治時代(めいじじだい)になるまで、十一代(じゅういちだい)、124年間(ねんかん)にわたり亀山城主(かめやまじょうしゅ)を勤(つと)めました。
最後(さいご)の城主(じょうしゅ)だった石川成之(いしかわなりゆき)は、12歳(さい)で殿様(とのさま)になっています。

![[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。](../img/text_01.gif)














