板倉重治(いたくらしげはる)・勝澄(かつずみ)
享保(きょうほう)2年(ねん)(1717年(ねん))、松平乗邑(まつだいらのりさと)のあとに、志摩国鳥羽(しまのくにとば)から、再(ふたた)び板倉重治(いたくらしげはる)がやってきました。その後(ご)、勝澄(かつずみ)と二代(にだい)にわたり亀山城主(かめやまじょうしゅ)を勤(つと)めました。
延享元年(えんきょうがんねん)(1744年(ねん))、板倉勝澄(いたくらかつずみ)は備中国松山(びっちゅうのくにまつやま)へ移(うつ)り、替(か)わって備中国松山(びっちゅうのくにまつやま)から石川総慶(いしかわふさよし)がやってきました。

![[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。](../img/text_01.gif)














