亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)亀山城(かめやまじょう)の前(まえ)にあったまち

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

亀山城(かめやまじょう)の前(まえ)にあったまち

亀山(かめやま)の町(まち)がいつごろできたのかはよくわかっていません。ただ、わずかな手(て)がかりから、亀山(かめやま)の町(まち)ができたようすを少(すこ)しだけ知(し)ることができます。

 

宗長(そうちょう)が記(しる)した亀山(かめやま)の町(まち)

連歌師(れんがし)の宗長(そうちょう)は、関盛貞(せきもりさだ)のまねきをうけて、大永(たいえい)2年(ねん)(1522)・4年(ねん)(1524)・7年(ねん)(1527)の3回(かい)にわたり亀山(かめやま)をおとずれています。その時(とき)のようすをしるした日記(にっき)には亀山(かめやま)のまちのようすを次(つぎ)のように書(か)きしるしています。@慈恩寺(じおんじ)・新福寺(しんぷくじ)・阿弥陀寺(あみだでら)・長福寺(ちょうふくじ)という4つの寺(てら)がある。A町(まち)の東(ひがし)と西(にし)に市場(いちば)がある。B関氏(せきし)の館(やかた)がある。C関氏(せきし)の館(やかた)の周辺(しゅうへん)に関氏(せきし)の家臣(かしん)の館(やかた)がある。

 

発掘(はっくつ)でみつかった亀山(かめやま)の町(まち)

東丸町(ひがしまるちょう)や本丸町(ほんまるちょう)では、亀山城(かめやまじょう)をつくるときに、それまであった町(まち)をうめていたことがわかっています。亀山城(かめやまじょう)あとの下(した)からみつかったのは500年(ねん)ほど前(まえ)の金属(きんぞく)を加工(かこう)したあと、家(いえ)などの柱(はしら)をたてた穴(あな)、家(いえ)と家(いえ)のあいだのみぞなどで、まちができたころの亀山(かめやま)のまちのあととみられます。

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