徳川家康(とくがわいえやす)と御茶屋御殿(おちゃやごてん)
1590年(ねん)(天正(てんしょう)18年(ねん))から1600年(ねん)(慶長(けいちょう)5年(ねん))までは、徳川家康(とくがわいえやす)は関地蔵(せきじぞう)(関町中町(せきちょうなかまち)・関町新所(せきちょうしんじょ))、木崎(こざき)(関町木崎(せきちょうこざき))に領地(りょうち)がありました。家康(いえやす)は、関(せき)の領地(りょうち)を代官(だいかん)の沢田清次(さわだきよつぐ)、笹山理兵衛(ささやまりへえ)に治(おさ)めさせ、役所(やくしょ)と自分(じぶん)が泊(と)まるために御殿(ごてん)を建(た)てました。この御殿(ごてん)を御茶屋御殿(おちゃやごてん)とよびます。
御茶屋御殿(おちゃやごてん)のようす
御茶屋御殿(おちゃやごてん)は現在(げんざい)の関郵便局(せきゆうびんきょく)のあたりにありました。どのような建物(たてもの)があったのかわかっていませんが、江戸時代(えどじだい)に描(えが)かれた図面(ずめん)やいまの地形(ちけい)からおおよその大(おお)きさを復元(ふくげん)することができます。

![[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。](../../img/text_01.gif)















