亀山こども歴史館トップページ 亀山城(かめやまじょう)と宿場(しゅくば)江戸幕府(えどばくふ)による亀山城(かめやまじょう)の整備(せいび)

[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。

江戸幕府(えどばくふ)による亀山城(かめやまじょう)の整備(せいび)

1633年(ねん)(寛永(かんえい)10年(ねん))、幕府(ばくふ)は将軍(しょうぐん)が宿泊(しゅくはく)するときのために亀山城(かめやまじょう)を整備(せいび)します。このときの整備(せいび)のようすは、江戸幕府(えどばくふ)につかえた大工(だいく)さんの家(いえ)に、亀山城整備(かめやまじょうせいび)の工事(こうじ)を担当(たんとう)したときに作(つく)ったとみられる図面(ずめん)がのこされており、おおよそのことがわかります。

 

図面(ずめん)からしらべる江戸幕府(えどばくふ)による亀山城整備(かめやまじょうせいび)

図面(ずめん)をみると、建物(たてもの)や塀(ほり)が茶色(ちゃいろ)と青色(あおいろ)にぬりわけられていることがわかります。茶色(ちゃいろ)はもともとあった建物(たてもの)、青色(あおいろ)は整備工事(せいびこうじ)で新(あたら)しく建(た)てたか、もとあったを建物(たてもの)などを直(なお)したところとみられます。青(あお)い色(いろ)の場所(ばしょ)をみると、1633年(ねん)(寛永(かんえい)10年(ねん))には、将軍(しょうぐん)がとまる御殿(ごてん)の部屋(へや)や、御殿(ごてん)や門(もん)を守(まも)る建物(たてもの)、馬(うま)をつないでおく建物(たてもの)が整備(せいび)されたことがわかります。



  寛永(かんえい)10年(ねん)の亀山城(かめやまじょう)(再現図(さいげんず))(クリックで拡大します)
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