岡本時代(おかもとじだい)の亀山城(かめやまじょう)
江戸時代(えどじだい)に書(か)かれた「九々五集(くくごしゅう)」という記録(きろく)には、岡本良勝(おかもとよしかつ)の時代(じだい)の亀山城(かめやまじょう)は、本丸(ほんまる)・二之丸(にのまる)・三之丸(さんのまる)の曲輪(くるわ)があり、天守(てんしゅ)が建(た)てられていたとあります。
岡本良勝(おかもとよしかつ)時代(じだい)の亀山城(かめやまじょう)の特徴(とくちょう)
岡本良勝(おかもとよしかつ)が城(しろ)をつくり直(なお)す時(とき)に取(と)り入(い)れた新(あたら)しい技術(ぎじゅつ)は次(つぎ)のようなものでした。@高(たか)い石垣(いしがき)A瓦(かわら)を使(つか)った大(おお)きな建物(たてもの)Bいろいろな向(む)きに鉄砲(てっぽう)などがうてるおれまがった土塁(どるい)や石垣(いしがき)、また、本丸(ほんまる)には大(おお)きな御殿(ごてん)を建(た)てたとみられます。
岡本良勝(おかもとよしかつ)時代(じだい)の亀山城(かめやまじょう)の図面(ずめん)
岡本良勝(おかもとよしかつ)が城(しろ)を築(きず)いたころの亀山城(かめやまじょう)のようすをえがいたと思(おも)われる図面(ずめん)が東京大学(とうきょうだいがく)に残(のこ)されています。その図面(ずめん)では西之丸(にしのまる)がなく、二之丸(にのまる)と三之丸(さんのまる)の間(あいだ)に江戸時代(えどじだい)にはない堀(ほり)がえがかれています。