城下町(じょうかまち)の宿場(しゅくば)亀山宿(かめやましゅく)
江戸時代(えどじだい)には、東海道(とうかいどう)53次(つぎ)の江戸(えど)(東京(とうきょう))から数(かぞ)えて46番目(ばんめ)の宿場町(しゅくばまち)として、露心庵(ろしんあん)から京口門(きょうぐちもん)までの約(やく)2.5kmにもおよぶ宿(しゅく)となります。宿(しゅく)の置(お)かれた亀山町(かめやまちょう)は東町(ひがしまち)・西町(にしまち)からなり、さらにその中(なか)が9つの町(まち)に分(わ)けられていました。城下(じょうか)と併(あわ)せた町(まち)は大(おお)きいのですが、本陣(ほんじん)・脇本陣(わきほんじん)(大名(だいみょう)や役人(やくにん)が泊(と)まるところ)はそれぞれ1軒(けん)しかなく、江戸後期(えどじだい)で旅籠(はたご)(庶民(しょみん)が泊(と)まるところ)も21軒(けん)と多(おお)くありません。

東海道五拾参次之内 亀山 雪晴(とうかいどうごじゅうさんつぎのうち かめやま ゆきばれ)

![[亀山城と宿場]亀山城(かめやまじょう)は、室町時代(むろまちじだい)から江戸時代(えどじだい)を通(つう)じて、亀山(かめやま)の政治(せいじ)や経済(けいざい)の中心(ちゅうしん)でした。このため、城(しろ)はまちの中心(ちゅうしん)にあってよく目立(めだ)つようにつくられています。どんな特長(とくちょう)があるのかを調(しら)べてみましょう。](../img/text_01.gif)














