安政(あんせい)の大地震(だいじしん)
主(おも)に1854年(ねん)(嘉永(かえい)7、11月(がつ)27日(にち)に安政(あんせい)に改元(かいげん))から1859年(ねん)(安政(あんせい)6年(ねん))に連発(れんぱつ)した地震(じしん)を、安政(あんせい)の大地震(だいじしん)といいます。亀山(かめやま)に残(のこ)る記録(きろく)によれば、亀山(かめやま)では、嘉永(かえい)7年(ねん)6月(がつ)15日(にち)の午前(ごぜん)2時過(じす)ぎ頃(ごろ)に、伊賀上野付近(いがうえのふきん)を震源(しんげん)とした マグニチュード7.25の激(はげ)しい伊賀上野地震(いがうえのじしん)がおこり、11月(がつ)4日(にち)の午前(ごぜん)8時過(じす)ぎには、マグニチュード8.4の東海地震(とうかいじしん)がおこり、大(おお)きな被害(ひがい)が出(で)ました。