亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)陸運会社(りくうんがいしゃ)と内国通運会社(ないこくつううんがいしゃ)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

陸運会社(りくうんがいしゃ)と内国通運会社(ないこくつううんがいしゃ)

1868年(ねん)(明治元年(めいじがんねん))に、各宿場(かくしゅくば)の問屋場(といやば)を伝馬所(てんまじょ)に名前(なまえ)を改(あらた)めましたが、1871年(ねん)(明治(めいじ)4年(ねん))の郵便制度導入(ゆうびんせいどどうにゅう)により、伝馬所(てんまじょ)の業務(ぎょうむ)は減少(げんしょう)しました。そこで、同年(どうねん)に伝馬所(てんまじょ)を陸運会社(りくうんがいしゃ)に変更(へんこう)し、1872年(ねん)(明治(めいじ)5年(ねん))6月(がつ)に、政府(せいふ)の保護(ほご)のもと新(あら)たに陸運会社(りくうんがいしゃ)をまとめる民営(みんえい)の陸運元会社(りくうんもとかいしゃ)を設立(せつりつ)し、8月(がつ)には、それまで、全国(ぜんこく)の宿場内(しゅくばない)の伝馬所(てんまじょ)で行(おこ)われていた宿駅制度(しゅくえきせいど)を廃止(はいし)しました。陸運元会社(りくうんもとかいしゃ)は、政府(せいふ)の荷物(にもつ)を独占的(どくせんてき)に取(と)り扱(あつか)う権利(けんり)を得(え)て、この政府(せいふ)からの荷物(にもつ)を全国(ぜんこく)の陸運会社(りくうんがいしゃ)へ請(う)け負(お)わせましたが、結局(けっきょく)、伝馬所(てんまじょ)の頃(ころ)と何(なん)ら変(か)わりがなく、これらが災(わざわ)いしたことから、政府(せいふ)は1875年(ねん)(明治(めいじ)8年(ねん))2月(がつ)に、陸運会社(りくうんがいしゃ)を廃止(はいし)し、内国通運会社(ないこくつううんがいしゃ)を新(あら)たに設立(せつりつ)しました。これにより、新(あたら)しい輸送網(ゆそうもう)が整備(せいび)されました。
※問屋場(といやば)…江戸時代(えどじだい)、公用(こうよう)の荷物(にもつ)の宿場(しゅくば)から宿場(しゅくば)へ運送(うんそう)する業務(ぎょうむ)を担当(たんとう)した施設(しせつ)
※宿駅制度(しゅくえきせいど)…荷物(にもつ)の宿場(しゅくば)から宿場(しゅくば)への輸送(ゆそう)の制度(せいど)

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