陸運会社(りくうんがいしゃ)
1871年(ねん)(明治(めいじ)4年(ねん))旧暦(きゅうれき)12月(がつ)23日(にち)(新暦(しんれき)2月(がつ)1日(にち))、東海道(とうかいどう)が通(とお)る府(ふ)や県(けん)へ、東海道筋(とうかいどうすじ)に陸運会社(りくうんがいしゃ)の設立(せつりつ)を許可(きょか)することが通達(つうたつ)されました。このことにより、全国(ぜんこく)に先駆(さきが)けて、1872年(ねん)(明治(めいじ)5年(ねん))旧暦(きゅうれき)1月(がつ)10日(にち)(新暦(しんれき)2月(がつ)18日(にち))に現在(げんざい)の市域内(しいきない)では、亀山駅陸運会社(かめやまえきりくうんがいしゃ)・関陸運会社(せきりくうんがいしゃ)・坂ノ下駅陸運会社(さかのしたえきりくうんがいしゃ)ができました。その後(ご)7月(がつ)の伝馬所(てんまじょ)の完全廃止(かんぜんはいし)にともない、大和街道筋(やまとかいどうすじ)の加太(かぶと)にも加太駅陸運会社(かぶとえきりくうんがいしゃ)ができました。この陸運会社(りくうんがいしゃ)は、1875年(ねん)(明治(めいじ)8年(ねん))4月(がつ)30日(にち)に内務省(ないむしょう)の通達(つうたつ)によって解散(かいさん)しました。