古代(こだい)の関所(せきしょ)
奈良(なら)の都(みやこ)(平城京(へいじょうきょう))と東(ひがし)の地域(ちいき)を結(むす)ぶ重要(じゅうよう)な道(みち)には関所(せきしょ)が設(もう)けられました。この中(なか)でも、伊勢鈴鹿関(いせすずかのせき)・越前愛発関(えちぜんあらちのせき)(福井県敦賀市(ふくいけんつるがし))・美濃不破関(みのふわのせき)(岐阜県関ヶ原町(ぎふけんせきがはらちょう))の3つの関所(せきしょ)(古代三関(こだいさんげん))は、最(もっと)も重要(じゅうよう)な関所(せきしょ)とされ、養老律令(ようろうりつりょう)によって関(せき)をおくことや、そのきまりが定(さだ)められていました。