伊勢国府(いせこくふ)と国分寺(こくぶんじ)
奈良時代(ならじだい)の三重県北中部(みえけんほくちゅうぶ)は伊勢国(いせのくに)と呼(よ)ばれていました。伊勢国(いせのくに)は鈴鹿関(すずかのせき)を管理(かんり)する役割(やくわり)がありましたので、伊勢国(いせのくに)の中心(ちゅうしん)となる役所(やくしょ)の伊勢国府(いせこくふ)は鈴鹿関(すずかのせき)に近(ちか)い亀山市能褒野町(かめやましのぼのちょう)から鈴鹿市広瀬町付近(すずかしひろせちょうふきん)におかれました。また、741年(ねん)、聖武天皇(しょうむてんのう)が全国(ぜんこく)に建(た)てることを命(めい)じた国分寺(こくぶんじ)、国分尼寺(こくぶんにじ)は、伊勢国(いせのくに)では鈴鹿市国分町付近(すずかしこくぶちょうふきん)に建(た)てられました。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../../img/text_01.gif)














