邪馬台国(やまたいこく)の時代(じだい)と亀山(かめやま)
中国(ちゅうごく)の古(ふる)い本(ほん)では、1800年(ねん)ほど前(まえ)の日本列島(にほんれっとう)は小(ちい)さな国(くに)がたがいに争(あらそ)っていたと書(か)かれています。亀山市域(かめやましいき)でも勢武谷遺跡(せぶたにいせき)のように、山上(さんじょう)に位置(いち)し、守(まも)りを高(たか)めた集落(しゅうらく)が見(み)られます。亀山市域(かめやましいき)でみつかる土器(どき)の形(かたち)は伊勢湾地域(いせわん)によくみられるものですので、この地域(ちいき)を中心(ちゅうしん)とした勢力(せいりょく)の一部(いちぶ)であったとみられます。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../../img/text_01.gif)














