志願兵制度(しがんへいせいど)
徴兵令(ちょうへいれい)とは別(べつ)に、志願(しがん)した者(もの)が兵役(へいえき)につく志願兵制度(しがんへいせいど)もありました。1876年(ねん)(明治(めいじ)9年(ねん))1月(がつ)、三重県令(みえけんれい)の岩村定高(いわむらさだたか)は、陸軍省(りくぐんしょう)より教導歩兵生徒(きょうどうほへいせいと)の入学志願者(にゅうがくしがんしゃ)を調(しら)べて報告(ほうこく)するようにという達(たっし)があったことを県内(けんない)へ通達(つうたつ)しました。
志願兵制度(しがんへいせいど)により志願(しがん)した人(ひと)には、沓掛村(くつかけむら)の太田覚念(おおたかくねん)や長明寺村(ちょうみょうじむら)の葛西周治郎(かっさいしゅうじろう)がいます。

![[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。](../../../img/text_01.gif)














