西南戦争(せいなんせんそう)に参加(さんか)した記録(きろく)
秩禄処分(ちつろくしょぶん)や徴兵制(ちょうへいせい)・廃刀令(はいとうれい)などの、政府(せいふ)による近代化政策(きんだいかせいさく)により、大半(たいはん)の士族(しぞく)は、生活苦(せいかつく)に追(お)い込(こ)まれました。これに対(たい)し、同(おな)じ士族(しぞく)でも政府高官(せいふこうかん)は、奢(おご)り、贅沢(ぜいたく)な暮(く)らしぶりであったことから、次第(しだい)に士族(しぞく)の間(あいだ)で、反政府感情(はんせいふかんじょう)が芽生(めば)え、1877年(ねん)(明治(めいじ)10年(ねん))に、西郷隆盛(さいごうたかもり)を中心(ちゅうしん)とした反政府戦争(はんせいふせんそう)が九州(きゅうしゅう)でおこりました。これを西南戦争(せいなんせんそう)といいます。
亀山(かめやま)では、長明寺村(ちょうみょうじむら)の葛西周治郎(かっさいしゅうじろう)という人(ひと)が政府側(せいふがわ)の歩兵(ほへい)として西南戦争(せいなんせんそう)に志願(しがん)し、功績(こうせき)をあげた記録(きろく)がのこされているほか、加太村(かぶとむら)の福地米蔵(ふくちよねぞう)と坂仲太郎(さかなかたろう)が従軍(じゅうぐん)したことが知(し)られています。