亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)平資盛(たいらのすけもり)と関氏(せきし)のはじまり

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

平資盛(たいらのすけもり)と関氏(せきし)のはじまり

平資盛(たいらのすけもり)は武士(ぶし)としてはじめて大(おお)きな力(ちから)を持(も)った平清盛(たいらのきよもり)の孫(まご)にあたります。資盛(すけもり)は、都(みやこ)で事件(じけん)を起(お)こし、その罰(ばつ)として伊勢国(いせのくに)に流(なが)されました。この時(とき)に住(す)んでいた場所(ばしょ)が関町久我(せきちょうくが)で、ここでもうけた子(こ)が平盛国(たいらのもりくに)であり、その子孫(しそん)が関氏(せきし)を名(な)のったと伝(つた)えられます。

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