平資盛(たいらのすけもり)の子孫(しそん)たち
関氏(せきし)
関盛国(せきもりくに)を初代(しょだい)として、現在(げんざい)の亀山市(かめやまし)・鈴鹿市域(すずかしいき)に力(ちから)を伸(の)ばしました。5代目(だいめ)の盛政(もりまさ)のときに子(こ)どもに領地(りょうち)を分(わ)け関五家(せきごけ)と呼(よ)ばれるようになりました
峯氏(みねし)
関盛政(せきもりまさ)の子(こ)の政実(まさざね)を初代(しょだい)として、峯城(みねじょう)を築(きず)いて川崎(かわさき)・野登地域(ののぼりちいき)を治(おさ)めていました。
鹿伏兎氏(かぶとし)
関盛政(せきもりまさ)の子(こ)の盛定(もりさだ)を初代(しょだい)として、鹿伏兎城(かぶとじょう)を築(きず)いて加太地域(かぶとちいき)を治(おさ)めていました。
国府氏(こうし)
関盛政(せきもりまさ)の子(こ)の盛門(もりかど)を初代(しょだい)として、国府城(こうじょう)を築(きず)いて鈴鹿市国府町(すずかしこうちょう)一帯(いったい)を治(おさ)めていました。
神戸氏(かんべし)
関盛政(せきもりまさ)の子(こ)の盛澄(もりずみ)を初代(しょだい)として、鈴鹿市東部(すずかしとうぶ)(河曲郡(かわのぐん))地域(ちいき)を治(おさ)めていました。始(はじ)めは沢城(さわじょう)にいましたが後(のち)に神戸城(かんべじょう)を築(きず)いて移(うつ)っています。
白石神社跡(しらいしじんじゃあと)
久我(くが)の南(みなみ)にある山(やま)の上(うえ)にある神社跡(じんじゃあと)で、平資盛(たいらのすけもり)が都(みやこ)から持(も)ってきた白(しろ)い小(ちい)さな石(いし)がしだいに大(おお)きくなって大(おお)きな岩(いわ)となったのでその岩(いわ)の場所(ばしょ)を神社(じんじゃ)としておまつりしたと伝(つた)えられます。