5.市域にあった酒造場
 昔、市域にはたくさんの酒造場があったんだ。創業時期や廃業時期はさまざまだけど、わかっているだけで、17軒の酒造場(内1軒は焼酎蒸溜)があったんだよ。でも、そのほとんどが、昭和20年頃までに廃業してしまったんだ。そして、現在では1軒も残っていないんだ。だから、亀山に酒造場があったことを知る人は少なくなってるんだよ。だけど、亀山に酒造場があった痕跡は、今でも残ってる。17軒全ての酒造場の痕跡がのこってるわけではないけれど、ここでは、そんな痕跡をたどって見つかった新たな資料も含めて、紹介するよ。
市域にあった酒造場一覧
蔵元名 銘柄 住所 創業年月日 醸造廃業
岡本醸造場
岡本酒造
岡本酒造店
薄雪
初響
亀乃井
鈴鹿正宗
野村 慶応年間 昭和21年頃
塩井屋
堀醸造場
室櫻
鐸乃花
野村 慶応年間 (不明)
近江屋
西谷酒造店
西谷與一
東雲
文武
西町 (不明) (不明)
合資会社柴橋商店 白菊
天狗印
(濁酒)
西町 (大正か) (昭和か)
草川酒造場
合資会社草川酒造場
草乃露
鶴の友
西町 寛永元年 昭和
(昭和37年以降)
糟屋 鬼笑 (亀山駅) (不明) (不明)
日野屋支店
鈴木重平支店
滋賀
さゝ浪
(東町) (不明) 明治26年頃
竹尾酒店 笹正宗 本町 大正6年 (不明)
森口守太郎 (不明) 山下町 (不明) (不明)
上田酒店 金水
大勇
安坂山町
(池山)
(不明) (不明)
日野屋
小林酒類製造場
小林國商店
小林酒店
薄緑
正宗
両尾町
(平尾)
安政4年 昭和11年5月
(醸造免許取消証の日付より)
中林酒造場
中林定一商店
若緑
鈴鏡
関町中町 文政元年 昭和18年
三谷耕一 (不明) 関町新所 明治26年頃 明治20年代後半か
尾﨑酒店 すず鹿 関町新所 (不明) 昭和13年
杉森酒店 杉の露 加太梶ヶ坂 (不明) (不明)
坂直次郎
延年 加太中在家 (不明) (不明)
八木二郎 白妙
(焼酎)
加太梶ヶ坂 大正3年以前 昭和16年
①西谷酒造場(近江屋/西町)

 西谷家(近江屋)は、弘化4年(1847)に近江国甲賀郡和田村から来た久兵衛が、醤油醸造をしていた若林家の醤油蔵や道具、店を借りて西町で醤油造りを始めたのが、亀山での始まりだったね。久兵衛は、その後13年間醤油造りをした後、若林家に醤油蔵などを返却して、酒造業へ転向していっているんだ。場所は、同じ西町だよ。その後、西谷家の当主は代々「與一よいち」を襲名して酒造りをしていくんだ。酒の銘柄は「文武ぶんぶ」と「東雲しののめ」。ただ、東雲については早い時期に造るのを止めたのか、あまり資料がのこっていないんだ。西谷家がいつ廃業したかは、はっきりわかっていないけれど、昭和時代までは酒造業を営んでいたよ。
[5-1]
5-1:近江屋通い徳利
年代:明治28年(1895)
館蔵西谷家資料
[5-1]
 西町の西谷酒造場(近江屋)にのこされていた通い徳利だよ。徳利の胴に書かれている「廿八年未」は明治28年(1895)のこと。徳利の生産地は美濃高田(岐阜県)だね。
[5-2] 
5-2:近江屋通い徳利用木箱
年代:近代
館蔵西谷家資料
[5-2]
 この木箱は、通い徳利を持ち運びやすいように入れた箱だよ。贈答用の貸箱としても使われたとか。
[5-3] 
5-3:看板「酒類製造場」
年代:近代
館蔵西谷家資料
[5-3]
 この看板は、酒造場に掛けられていた看板みたいだよ。
[5-4] 
5-4:近江屋酒造場図
年代:明治33年(1900)
館蔵西谷家資料
[5-4]
 これは、明治33年8月11日調べの西谷家の敷地の図面なんだ。上が北で旧東海道に面しているよ。敷地の北が母屋で南が酒造場になっているね。酒造場には「カイショ」や「船蔵ふなぐら」と書かれている場所がある。カイショ(会所)は杜氏とうじなど蔵人くらびと蔵男くらおとこ)の休憩場所で、どこの酒造場にも必ずあったんだ。また船蔵は、もろみを搾る場所だよ。醪を搾る時、醪を入れた酒袋さかぶくろを舟の形をした大きな酒槽さかぶねに並べ重ねて入れるんだ。だからこの作業をする蔵を船蔵と呼んだんだ。
[5-5] 
5-5:近江屋しおり
年代:明治時代
館蔵西谷家資料
[5-5]
 このしおりは、近江屋の宣伝広告だよ。明治26年以前に印刷されたものと考えられるよ。「東雲」の銘柄しか書かれていないから、この頃はまだ「文武」は造られていなかったんだね。
[5-6] 
5-6:商標登録証(文武)
年代:大正5年(1916)
館蔵西谷家資料
[5-6]
 これは、清酒「文武」を商標登録した最初の商標なんだ。大正5年6月10日に登録されたということは、文武はこの頃から醸造販売されたんだね。
[5-7] 
5-7:商標公報(文武)
年代:昭和10年(1935)
館蔵西谷家資料
[5-7]
 これは、清酒「文武」の商標登録を更新した時の商標公報だよ。昭和10年(1935)11月28日に更新登録しているね。商標は10年で期限がきれるから、10年毎に更新しなければならないんだ。
[5-8]
5-8:大福帳
年代:昭和16年(1941)
館蔵西谷家資料
[5-8]
 これは、昭和16年(1941)2月の売り上げを書いた大福帳だいふくちょうだよ。顧客別にまとめられ、品名に、「上酒」「並酒」「空瓶」などがみられるから、清酒「文武」の売り上げを記録したものだろう。
[5-9] 
5-9:伊勢中央酒類共進会三等乙受賞の賞状
年代:明治28年(1895)
館蔵西谷家資料
[5-9]
 これは、明治28年11月11日に三等乙を受賞した賞状だね。伊勢中央酒類共進会の品評会に出品したのは「東雲しののめ」かな。
[5-10]
5-10:第十回全国物産品博覧会賞牌
年代:大正3年(1914)
館蔵西谷家資料
[5-10]
 大正3年(1914)12月に開催された第十回全国物産品博覧会の賞牌だね。この時も「東雲しののめ」を出品したのかなあ。
[5-11]
5-11:日本物産博覧会賞牌
年代:大正5年(1916)
館蔵西谷家資料
[5-11]
 大正5年(1916)に開催された日本物産新報社主催の日本物産博覧会賞牌。
[5-12]
5-12:津市主催三重県物産品評会賞牌
年代:大正7年(1918)
館蔵西谷家資料
[5-12]
 大正7年(1918)に開催された津市主催三重県物産品評会賞牌。
[5-13]
5-13:桑名郡主催第二回三重県物産品評会賞牌
年代:大正8年(1919)
館蔵西谷家資料
[5-13]
 大正8年(1919)に開催された第二回三重県物産品評会の賞牌。主催は桑名郡。
[5-14]
5-14:内外産業博覧会賞牌
年代:大正10年(1921)
館蔵西谷家資料
[5-14]
 京都市の岡崎公園勧業館特設館で大正10年(1921)3月20日から5月22日まで開催された内外産業博覧会の賞牌(銅賞)。主催は京都博覧協会。

②草川酒造場(塩屋/西町)

 草川家(塩屋)は、江戸時代から昭和時代まで西町で「鶴の友」や「草乃露」という銘柄の酒を造っていたんだ。当主は代々「善太郎」を襲名している。7代目の時、昭和23年(1948)に合資会社化し、合資会社草川酒造場として経営を始めたんだけど、次の代がいなかったから、7代目が最後になったんだって。廃業時期はわからないけれど、少なくとも、昭和37年(1962)の時点では合資会社として営業していたことがわかっているよ。
[5-15]
5-15:草川商店通い徳利
年代:近代~昭和初期
館蔵打田(正)家資料
[5-15]
 これは、西町の草川醸造場(塩屋)の通い徳利だよ。徳利には、「草川商店」と書いてあるね。そして、この徳利は椿世町で収集したんだ。椿世町から西町まで酒を買いに来てたんだね。それから、この徳利の生産地は、美濃高田(岐阜県)だよ。
[5-16]
5-16:塩や通い徳利
年代:近代~昭和初期
亀山市まちなみ文化財G
所管
[5-16]
 この通い徳利は、江ヶ室の発掘調査で出土したんだ。草川醸造場の通い徳利で、「亀山 塩や」「百拾番」と書かれているね。土の中から割れて見つかったのを、貼り合わせたんだけど、首の部分がなくなっていて完全な姿はわからない。徳利の生産地もよくわからないんだ。もしかしたら信楽焼かなあ。
[5-17] 
5-17:草川善太郎酒造場図面
年代:天保4年(1833)
館蔵辻井家資料
[5-17]
 これは、天保4年(1833)の草川善太郎の敷地の図面だよ。敷地は、北が東海道に面し、北は住居や店があるね。店には、酒売場の他に、溜売場・味噌売場・塩売場が書かれているよ。酒以外にも溜・味噌・塩を販売していたんだね。だけど、造っていたのは、酒だけみたいだね。敷地奥、南の大きな土蔵には「二階附酒造」と書かれているよ。この土蔵の北側のひさしの下には、黄色で塗った「会所部屋」があるよ。さらに、この土蔵の西に建つ別の土蔵も同じように「二階附酒造」と書かれていて、ここには「舟場ふなば」があるよ。舟場の舟は酒槽さかぶねのことだね。
[5-18] 
5-18:鑑札入れ用木箱
年代:天保14年(1843)
館蔵辻井家資料
[5-18]
 この木箱の蓋には、「従 御公儀ごこうぎより頂戴ちょうだい酒造株しゅぞうかぶ御鑑札ごかんさつ 天保十四卯十一月 草川性」と墨書きされているよ。つまり、天保14年(1843)に、草川家が亀山城主より酒造りの許可をもらったことを表しているんだ。草川家がいつから酒造りをしていたかはわからないけれど、もしかしたら、この時が最初かもしれないね。
[5-19] 
5-19:地所建物図
年代:明治時代
館蔵辻井家資料
[5-19]
 この図は、5-17の図面と比べて大きく変わっているところは、敷地の西に、表通りに面して奥に長い酒造場が1棟増えていることかな。そしてこの酒造場内には麹室があるね。
 5-17の図面で「舟場ふなば」だった建物は、5-17の図面の時より小さくなっているけれど、さらに撤去予定なのか、赤線で囲って「取除之分とりのぞきのぶん」と書かれているんだ。

③岡本酒造場(野村)

 野村にあった岡本酒造場は、大正時代に発行された「大日本商工録」などによれば、創業は慶応年間(1865~1867)なんだって。だけど最初から清酒を造っていたわけではないらしい。岡本家に伝わることによると、最初は焼酎の製造をしていたんだ。だけど、水がおいしいことを知って、焼酎から清酒造りに替えたんだって。この時期がおそらく明治21年(1888)頃なんだ。なんでかというと、明治20年(1887)に作成された敷地の図面には、焼酎造りで必要な「蒸溜釜場」が描かれているけれど、明治21年の図面では無くなっているからなんだ。
 また、家伝によれば、岡本酒造場では、同じ野村にあった堀醸造場に教わって酒造りを始めたんだって。そうして、薄雪・初響・亀乃井・鈴鹿正宗という銘柄の酒を造ったんだ。このうち、亀乃井や鈴鹿正宗はいろんな賞を受賞しているよ。だけど、第二次世界大戦で男手が足りなくなったり、原料の米が配給になったりなど、さまざまな要因が重なって、昭和21年(1946)頃に廃業したんだ。
[5-20]
 岡本醸造場の通い徳利だよ。醸造場名「岡本」や、銘柄「鈴鹿正宗」が書かれているね。

[5-20]
[5-20]
5-20:通い徳利2種
年代:近代~昭和初期
(左)館蔵岡本家資料/(右)館蔵三谷(あ)家資料
[5-21]
5-21:焼酎蒸溜営業免許鑑札
年代:明治12年(1879)
岡本家寄託資料
[5-21]
 岡本家が焼酎を製造していた頃の焼酎蒸溜営業免許鑑札だよ。裏には、墨書き「明治十一年三月廿七十七日」と明治10年(1877)~12年(1879)の収税印が3つ押されているよ。これにより、この頃はまだ、清酒ではなく焼酎を造っていたことがうかがえるよ。
[5-22] 
5-22:蘭引(陶器製蒸留装置)
年代:明治時代か
岡本家所蔵資料
[5-22]
 岡本家にのこされていた蘭引らんびきだよ。蘭引は水冷式の蒸溜装置だよ。この蘭引で焼酎も蒸溜できたんだ。岡本家に蘭引がのこされていたのは、きっと焼酎製造をおこなっていたからだね。
[5-23]
5-23:米買入帳
年代:大正11年(1922)
~昭和29年(1954)
岡本家所蔵資料
[5-23]
 酒の原料である米の買入帳だよ。買い入れた米の品種の多くは「錦米」や「竹成」や「朝日米」などの飯米だったみたいだね。でも中には酒造好適米として改良された「神力」という品種の米も買い入れられているんだ。購入相手は、近隣の農家が多いみたい。
[5-24]
5-24:酒・粕等売上帳
年代:大正10年(1921)
~大正15年(1926)
岡本家所蔵資料
[5-24]
 これは、顧客別にまとめられた、新酒や粕、おりなどの売り上げを記した帳面だよ。「亀乃井」や「鈴鹿正宗」の売上も書かれているよ。
[5-25] 
5-25:褒状(清酒亀乃井)
年代:大正3年(1914)
岡本家所蔵資料
[5-25]
 岡本醸造場の岡本半造は、東京大正博覧会に清酒「亀乃井」を出品して、褒状を授与されているんだ。これは、その時授与された褒状だよ。
[5-26]
5-26:木杯
年代:大正4年(1915)
岡本家所蔵資料
[5-26]
 この木杯は、東京大正博覧会の出品人へ皇室から下賜された記念品だよ。下賜のことは、博覧会があった翌年に宮内省から亀山町役場を通じて伝達されたんだ。
[5-27] 
5-27:亀乃井三等褒賞写真
年代:大正時代
岡本家所蔵資料
[5-27]
 これは、アルバムに納められていた清酒亀乃井が全国の品評会で三等賞をとった時の写真だよ。
[5-28] 
5-28:岡本醸造場写真
年代:近代
岡本家所蔵資料
[5-28]
 岡本醸造場を写した写真だよ。道は野村を通る旧東海道だよ。
[5-29] 
5-29:岡本醸造場蔵男写真
年代:大正時代以降
岡本家所蔵資料
[5-29]
 酒造場で働く従業員を「蔵男くらおとこ」と呼ぶよ。8人の蔵男が写っていて、「鈴鹿正宗」の前掛けをしているね。
[5-30] 
5-30:鈴鹿正宗・亀乃井看板前写真
年代:大正時代以降
岡本家所蔵資料
[5-30]
 「鈴鹿正宗」と「亀乃井」の看板前で写された写真だね。自転車を引いている人は、鈴鹿正宗の前掛けをしているね。配達かな。なお、撮影場所は不明なんだ。岡本醸造場は、松阪市の魚町に支店があったから、撮影場所は魚町かもしれないね。
[5-31] 
5-31:看板「高級清酒 初響 ハツヒビキ四日市酒造株式会社醸」
年代:昭和時代
岡本家所蔵資料
[5-31]
 終戦後、岡本酒造場が廃業した後、数軒の酒造場が集まって四日市酒造株式会社を立ち上げたんだ。岡本半造も四日市酒造に役員として携わっているんだ。この時、岡本酒造場の銘柄「初響」を四日市酒造に譲ったんだ。この看板の「初響」の醸造元が四日市酒造になっているのは、こんな理由があったんだね。

④堀醸造場(塩井屋/野村)

 堀醸造場は、野村にあった酒造場なんだ。屋号を塩井屋といって、造っていた酒の銘柄は、「室櫻むろざくら」と「鐸乃花すずのはな」だよ。大正7年(1918)発行の「大日本商工録」によれば、創業は慶応年間だね。蔵元は「堀喜三郎」。
[5-32]
5-32:塩井屋通い徳利
年代:近代~昭和初期
館蔵川戸(英)家資料
[5-32]
 これは、堀醸造場の通い徳利だね。「塩井屋」は堀家の屋号だよ。徳利の番号は「六〇八」。
[5-33]
 堀醸造場の酒の銘柄である「室櫻むろざくら」と「鐸乃花すずのはな」をデザインした陶器製の盃だね。酒を買った時に粗品として配られたものだね。

[5-33]
[5-33]
[5-33]

[5-33]
[5-33]
5-33:「室櫻」「鐸乃花」陶器製盃
年代:近代~昭和
個人所蔵資料

⑤小林酒類製造場(日野屋/両尾町)

 小林酒類製造場は、両尾町(平尾)にあった、小林家の酒造場だよ。屋号は日野屋。造っていた酒の銘柄は、「正宗やまかのうまさむね」と「薄緑うすみどり」だよ。安政4年(1857)、小林酒類製造場は、小亀惣兵衛が日野から来て平尾村で酒造りを始めたのが最初なんだ。だけど、小亀惣兵衛は45歳の若さで亡くなってしまったんだって。この時、跡継ぎの國太郎(國松)は3歳だったから、酒造場を存続させるために、國太郎(國松)を形式的に平尾村庄屋の小林平吉の家に養子にいれたんだ。こうして、この小林國太郎(國松)が酒造場を継いだんだって。そして、小林家は國太郎の子の宗治も國松を継いだんだ。だからかな、蔵元として「小林國商店」って書かれていることもあるよ。
 小林家が廃業したのは昭和11年(1936)なんだ。廃業理由はわからないけれど、小林家には昭和11年5月18日付の「清酒製造免許取消証」がのこされていたよ。
[5-34]
5-34:日野屋通い徳利
年代:近代~昭和初期
館蔵小林(國)家資料
[5-34]
 これは、両尾町(平尾)にあった小林酒類製造場の通い徳利だよ。屋号は日野屋。側面に「」って書いてあるんだ。これは、小林家の屋号紋なんだよ。
[5-35] 
5-35:小林酒類製造場蔵男写真
年代:大正時代以降
小林(國)家所蔵資料
[5-35]
 これは、酒蔵の前で撮影した小林酒類製造場の蔵男くらおとこ達だね。左端の人が、城崎(兵庫県豊岡市)から来てもらっていた杜氏の中村浅吉さんなんだって。小林酒類製造場の杜氏は、城崎から来ていたんだね。

⑥中林酒造場(中一/関町中町)

 中林酒造場は関町中町にあった酒造場だよ。昭和5年(1930)発行「大日本商工録」によれば、創業は文政元年(1818)。中林酒造場の酒の銘柄は「若(わか)緑(みどり)」と「鈴(すず)鏡(かがみ)」だよ。中林家は初代を市兵衛といい、この人が酒造業を始めたみたいなんだ。その後2代目市兵衛いちべえ、3代目市兵衛、4代目市平いちべえ、5代目定一さだいちと続いた。
 戦時下の昭和18年(1943)、国が酒造業を50%以下にして、軍需産業に転用させる政策(企業整備)をおこなったんだ。このため酒造制限が強化され、結果、酒も原料の米も配給となった。この時、小さな酒蔵は廃業を余儀なくされ、中林酒造場も、当時兼業していた郵便局か酒造業かに選択をせまられ、酒造業を廃業したんだって。
[5-36]
5-36:「若緑」通い徳利
年代:近代~昭和初期
中林大典家所蔵資料
[5-36]
 これは、中林の酒造場の酒の銘柄「若緑」が書かれた通い徳利だよ。下に注ぎ口がついているね。
[5-37] 
5-37:酒造場写真
年代:昭和12年(1937)
中林大典家所蔵資料
[5-37]
 この写真は、昭和12年(1937)11月7日に撮影された酒蔵を写した写真だよ。酒蔵の前に、もろみの仕込みに使う大桶おおおけがたくさん並んでいるね。酒の醸造は冬におこなわれるから、仕込み前に大桶を洗って干しているんだね。
[5-38]
5-38:「若緑」酒樽写真
年代:昭和4年(1929)頃
中林大典家所蔵資料
[5-38]
 この写真は、昭和4年(1929)頃に撮影された写真だよ。「若緑」のラベルを貼った酒樽が写っているね。
[5-39] 
5-39:「鈴鏡」徳利と猪口と猪口用皿
年代:近代
中林大典家所蔵資料
[5-39]
 これは、粗品なのかな。中林酒造場の銘柄「鈴鏡」をデザインした徳利と猪口と猪口用の小皿のセットなんだ。ソーサーみたいな使い方をする猪口用の小皿を初めてみたよ。かわいいね。
 徳利
 猪口
 猪口用皿
[5-40]
 左が集金帳。これは、集金金額と集金相手の名前が書かれているよ。裏表紙に、「若緑蔵元 中一店」とあるから、酒の掛け売り代金の集金だね。
 右は、売り上げを書き上げた帳面だよ。上酒・並酒・銘酒などの品名と、客の名前を書き上げたものだよ。つまり、大福帳だね。

[5-40]
[5-40]
5-40:集金帳(左)と売上帳(右)
年代:(左)大正5年(1916)/(右)近代
中林大典家所蔵資料
[5-41]
5-41:正米買入帳
年代:明治24年(1891)
中林大典家所蔵資料
[5-41]
 これは、酒造米の買い入れを記した帳面だよ。買い入れた米の量と購入相手の名前が書き上げられているんだ。購入相手の住所地をみると市域の地名が多いんだ。岡本酒造場と同じように原料の米は地元で調達していたんだね。
[5-42]
5-42:貸売台帳
年代:明治37年(1904)
中林大典家所蔵資料
[5-42]
 貸し売りとは掛け売りのことだよ。この帳面は、客ごとに、いつ、いくらで酒を売ったかが記されているんだ。店は、これを見て後日集金したんだね。
[5-43]
 これは、中林酒造場の酒「鈴鏡」と「千木栄」の商標登録に関する書類だよ。鈴江特許法律事務所を通して商標の登録をしたんだ。

[5-43]
[5-43]
5-43:(左)「鈴鏡」登録通知並ニ領収書
    (右)「千木栄」商標登録通知書・商標見本
年代:(左)大正13年(1924)
(右)昭和15年(1940)
中林大典家所蔵資料
[5-44] 
5-44:登録商標「八十瀬」書類
年代:昭和15年(1940)
中林大典家所蔵資料
[5-44]
 これも、中林酒造場の酒「八十瀬」の登録商標に関する書類なんだ。商標見本などはのこされていない。「八十瀬」という銘柄の酒も造っていたんだね。

⑦坂家(カネサ/加太中在家)

 坂家については、造っていた酒が「延年えんねん」という銘柄であったことはわかっているけれど、酒造場名や来歴など、詳しいことが伝わっていないんだ。ただ、古い刊行物や酒のラベルには、蔵元として坂直次郎や坂藤太郎の名前が書かれているよ。
[5-45]
 これは、加太中在家にあった酒造場、坂家の通い徳利だよ。この2つの徳利のうち、1つは「店」と書かれているよ。ちなみにカネサは屋号なんだ。

[5-45]
[5-45]
5-45:坂家通い徳利2種
年代:近代~昭和初期
坂家所蔵資料
[5-46]
 これは、坂家の銘柄「延年えんねん」をデザインした猪口だよ。これも粗品で配ったものかな。

[5-46]
[5-46]
5-46:「延年」猪口
年代:近代
坂家所蔵資料

⑧その他
  竹尾酒店(本町)・上田酒店(安坂山町)・尾﨑酒造場(関町新所)

 今まで紹介した酒造場以外にも、まだ10軒の酒造場があったことがわかっていて、そのうち、通い徳利がのこされている酒造場の紹介をするよ。
[5-47]
5-47:竹尾酒店通い徳利
年代:近代~昭和初期
館蔵川井家資料
[5-47]
 これは、本町にあった竹尾酒店の通い徳利なんだ。昭和5年(1930)に発行された「大日本商工録」によれば、竹尾由蔵が「笹正宗」という銘柄の酒を造っていたよ。
[5-48]
5-48:上田酒店通い徳利
年代:近代~昭和初期
館蔵川戸(英)家資料
[5-48]
 これは、安坂山町(池山)にあった酒造場、上田酒店の通い徳利なんだ。大正14年(1925)に刊行された「日本醸造名鑑」によれば、酒の銘柄は「大勇」で蔵元の名前は上田利平だよ。さらに古い刊行物では、利平の先代かな、蔵元として上田友三郎が書かれているよ。
[5-49]
 この通い徳利は、関町新所で現在も小売店として営業している尾﨑酒店が酒造場をしていた頃の通い徳利だよ。銘柄は徳利に「春々鹿」と書いてあるとおり、すず鹿だよ。尾﨑家の酒蔵は、ちょっと離れた所にあって、現在の関クリニックの近くにあったんだ。通りより少し内側にあって、場所がわかりにくかったから、店だけ今の地蔵院の斜め向かいの場所に出したんだって。尾﨑家が調べたところ、廃業理由は伝わっていないけれど、廃業した年は、昭和13年(1938)らしいよ。

[5-49]
[5-49]
5-49:尾﨑酒造場通い徳利2種
年代:近代~昭和初期
(左)尾﨑家所蔵資料/(右)坂下民芸館資料

コラム-2
八木二郎による焼酎造り

 大正11年(1922)~昭和6年(1931)の刊行物をみると、江ヶ室で八木二郎という人が焼酎を造っていたみたいだね。
 江ヶ室の八木家の敷地から焼酎製造の竈跡がみつかっているんだ。焼酎は粕取り焼酎だったみたいで、付近の酒造場から粕を購入した記録がのこっているんだ。

①焼酎蒸溜竈跡発掘写真

 この2枚の写真は江ヶ室で発掘がおこなわれた時にみつかった、八木家の焼酎蒸溜竈の跡なんだよ。

[コラム-2①]
[コラム-2①]
撮影:平成13年(2001)
亀山市まちなみ文化財G所管

②「酒粕受入ノ部」

[コラム-2②]
年代:大正~昭和時代
館蔵八木家資料
 この資料は、八木家の古い襖の下張りからみつかったんだ。これによると、焼酎の原料である粕は、草川酒造場・中林酒造場・西谷酒造場・小林酒類製造場などから購入しているね。