5.写真の中の季節
 当館には写真も多く収蔵されており、その中には、昔の市内の風景や年中行事などが撮影されたものがある。風景写真には、たとえば桜並木や雪景色というように、季節を意識して撮影されたものものこされている。そして、年中行事を撮影した写真は、写された行事そのものが季節と深く関わっている。
 このコーナーでは、古写真の中から、とくに風景写真や行事を撮影した写真に着目し、写真の中に写された季節をみていく。
(1)春
[5-1]
5-1:
亀山新橋西側の菜の花畑
年代:昭和30年代
館蔵資料
[5-1]
 この写真の場所は、南崎交差点付近である。写真左上に能褒野神社の一の鳥居とボンネットバス、その背後に三笠館が写る。また、白黒写真なのでわかりにくいが、写真手前側の旧国道1号線脇には菜の花が一面に広がっており、これは、春の風景を撮影した写真である。
[5-2]
5-2:池の側北側の道の桜
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-2]
 この写真の場所は、池のかわ北側の天理教教会との間を通る道である。春に、道の両脇に咲きほこる桜を撮影したものである。
[5-3]
5-3:東御幸町の桜並木
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-3]
 この写真も5-2と同じ春の桜並木道を撮影した写真である。写真の場所は、現在の亀山市文化会館とアパホテルの間の道で、昔はこの辺り一帯は田んぼで道も舗装されていなかった。写真奥が亀山駅方向で、亀山駅から鈴鹿高等女学校(現在の亀山高校)や女子師範学校の生徒達がこの道を通った。
[5-4]
5-4:西の追分の春
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-4]
 この写真は、関町新所の西の追分にある谷口法悦の題目塔を、桜と共に撮影した写真である。この場所は、現在は整備されているが、桜は今も残っている。
[5-5]
5-5:坂下の獅子舞
年代:昭和58年(1983)
館蔵資料
[5-5]
 坂下地区では、4年に一度、4月12日の片山かたやま神社の春の祭礼に獅子舞を奉納し、集落の安全を祈る習わしがある。最近は、おおよそ4年に1度、もしくは人員がそろった祭日に近い土日に行事が行われ、獅子が集落をまわる。この写真は、昭和58年(1983)4月10日に行われた坂下の獅子舞を撮影したものである。
[5-6]
5-6:花祭り
年代:昭和35年(1960)頃
館蔵資料
[5-6]
 写真に写っている屋根を花で飾った御堂は、「花御堂はなみどう」と呼ばれる。花御堂の中に釈尊しゃくそんの誕生仏を安置し、参拝者は柄杓で誕生仏に甘茶あまちゃをかけて拝むのである。これは、4月8日のお釈迦様の誕生日を祝う花祭り(別名、灌仏会かんぶつえと呼ばれる春に行われる祭りである。戦前までは市内各地区で行われていたようだが、現在は少なくなっている。

(2)夏
[5-7]
5-7:鈴鹿川での川遊び
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-7]
 2人の子供が川遊びをしている写真の場所は、亀山製絲株式会社の南側の鈴鹿川に架かる亀山橋の下である。写真奥に紀勢本線の鉄橋が見え、多くの人が川の中にいるようすが見てとれる。この様子からもわかるように、この写真は夏の季節に撮影された写真である。
[5-8]
5-8:関神社の神輿渡御
年代:昭和時代
館蔵関町史編さん資料
[5-8]
 神輿といえば、秋祭りをイメージする人もいるかもしれないが、この写真の神輿は関神社の神輿である。関神社では、7月の下旬に夏祭りが行われ、神輿が氏子の若者達に担がれて、関宿西の追分近くの御旅所まで渡御とぎょする。この夏祭りは、以前は7月16日に行われていた。
[5-9]
5-9:関の山車
年代:昭和時代
館蔵関町史編さん資料
[5-9]
 関神社で夏祭りが行われる日、木崎・北裏(大裏)・中町三番町・中町四番町の四輛の山車やまの曳山が行われる。写真は、山車の見せ場である屋台回しをおこなう会場で撮影されたもの。
[5-10]
5-10:亀山町時代の納涼会
年代:昭和初期~20年代
館蔵資料
[5-10]
 亀山町時代の納涼会。会場は、亀山尋常高等小学校(現在の亀山西小学校)。納涼会は、現在も納涼大会として続く亀山の夏の風物詩になっている。
[5-11]
5-11:亀山駅前での納涼会
年代:昭和32年(1957)以降
館蔵中根(猛)家資料
[5-11]
 写真は、亀山市になってからの亀山駅前で開催された納涼会のようすを撮影したもの。子供から大人まで、男性も女性も浴衣を着て、ローソクを入れたボンボリを両手に持って灯踊ひおどりを楽しんでいる。
[5-12]
5-12:納涼会(灯踊り)会
年代:昭和32年(1957)以降
館蔵中根(猛)家資料
[5-12]
 写真は、納涼会での灯踊ひおどりの踊り手たちの集合写真。灯踊りは、昭和32年(1957)、地場産業のローソクをモチーフにした踊りを、亀山駅前の伊藤弁当店の番頭さんが発案し、それによって、ローソクを入れたボンボリを持った踊りが考案されたのが始まりである。
[5-13]
5-13:加太板屋の太鼓踊り
年代:昭和時代
館蔵関町史編さん資料
[5-13]
 加太の太鼓踊りは、8月のお盆に、初盆供養として各地区ごとに踊られる。初盆供養なので、初盆を迎える家がない年は踊らない。写真の太鼓踊りは、浄専寺で踊られた板屋の太鼓踊りである。

(3)秋
[5-14]
5-14:秋祭りの宵宮
年代:昭和時代初期
館蔵中根(猛)家資料
[5-14]
 広い会場には万国旗が掲げられ、「献灯」や「一番組」・「四番組」・「五番組」などの文字が書かれた大提灯が立てられている。中央には大太鼓、その周りを輪になって灯踊ひおどりを踊っている。写っている人々の服装は、皆長袖で、踊っている人は、着物を着た人や祭りの法被を着た子供達である。灯踊りといえば、納涼会などの夏をイメージするが、この写真は、大提灯や法被などから西町で行われた秋祭りの宵宮を撮影したものであろう。
[5-15]
5-15:川俣神社の相撲
年代:昭和時代
館蔵関町史編さん資料
[5-15]
 昔、伊勢・大和・伊賀の三つの国が萱刈場の優先権をかけて「加太の三人相撲」が行われていたという伝説がある。この伝説に由来して、加太の川俣かわまた神社の秋祭りでは奉納相撲が行われた。平成18年までは子供相撲も奉納されていた。
[5-16]
5-16:収穫後の田んぼ
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-16]
 田んぼの風景。脱穀後の藁束を円形に積み重ねたスズミや、はさ掛けが写っていることから秋の収穫後である。
 なお、晩秋の季語の一つに「藁塚わらづか」という語があり、この藁塚を亀山ではスズミという。
[5-17]
5-17:亀山八幡神社での七五三
年代:昭和30年代
館蔵資料
[5-17]
 これは、亀山八幡神社での七五三参りのようすを撮影したものである。七五三参りには、子供が無事に成長したことに感謝し、無病息災を願う意味がある。昔は、11月15日に行われた人生儀礼の一つである。

(4)冬
[5-18]
5-18:雪化粧した多門櫓
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-18]
 この写真は、冬の雪の日に東側から撮影した、黒壁の頃の多門櫓たもんやぐらである。
[5-19]
5-19:炭焼き
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-19]
 写真は冬の炭焼きの風景である。市内における炭焼きは、基本的に冬の農閑期におこなわれるが、炭の需要が多かった昭和25年(1950)頃は、山林の多い坂下・加太・野登地域では、生産量も多く、一年中炭焼きをおこなっていた。
[5-20]
5-20:駅伝
年代:昭和時代
館蔵資料
[5-20]
 亀山市の冬のイベントである駅伝を撮影したもの。
[5-21]
5-21:大市
年代:昭和53年(1978)
館蔵資料
[5-21]
 亀山市の冬の風物詩となっている大市おおいちを撮影したもの。伊勢新聞によると、大市は、明治41年(1908)に鈴鹿郡長北野孝一が、地方振興の一策として、当時の神戸市を模範とした地方の大売出を旧暦の年末に行うこととし、「亀山市かめやまいち」と名付けたのが始まりのようである。新聞の記事では「亀山市かめやまいち」と書かれるのは明治45年(1912)までで、大正2年(1913)からは「大市」と書かれている。