亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)機関車襲撃(きかんしゃしゅうげき)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

機関車襲撃(きかんしゃしゅうげき)

1945年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん))8月(がつ)2日(にち)、11時(じ)30分発(ぷんはつ)鳥羽行(とばい)きの蒸気機関車(じょうききかんしゃ)は、空襲警報(くうしゅうけいほう)のため亀山駅(かめやまえき)で発車(はっしゃ)を見合(みあ)わせていましたが、どのような理由(りゆう)があったのか、空襲警報(くうしゅうけいほう)が解除(かいじょ)される前(まえ)に亀山駅(かめやまえき)を出発(しゅっぱつ)しました。列車(れっしゃ)は、その直後(ちょくご)12時(じ)10分頃(ぷんごろ)、列車(れっしゃ)が鈴鹿川(すずかがわ)を渡(わた)り終(お)えるころ、アメリカ軍(ぐん)の小型戦闘機(こがたせんとうき)P51による銃撃(じゅうげき)をうけました。この時(とき)、列車(れっしゃ)は乗客(じょうきゃく)でほぼ満員(まんいん)であっため、多(おお)くの犠牲者(ぎせいしゃ)や重傷者(じゅうしょうしゃ)が出(で)ました。現場近(げんばちか)くには、多(おお)くの機銃弾(きじゅうだん)の薬莢(やっきょう)が落下(らっか)し、この薬莢(やっきょう)の一部(いちぶ)は現在(げんざい)ものこされています。

 

機銃弾(きじゅうだん)の薬莢(やっきょう)

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