防空工場(ぼうくうこうじょう)(地下壕(ちかごう))
戦争(せんそう)に必要(ひつよう)な兵器(へいき)などの製造(せいぞう)や修理(しゅうり)を行(おこな)う、陸海軍直営(りくかいぐんちょくえい)の工場(こうじょう)を「工廠(こうしょう)」といいました。この付近(ふきん)では現在(げんざい)のイオンモール鈴鹿(すずか)の一帯(いったい)に海軍(かいぐん)の爆撃機(ばくげきき)の機銃(きじゅう)や銃弾(じゅうだん)を生産(せいさん)した鈴鹿海軍工廠(すずかかいぐんこうしょう)がありました。戦局(せんきょく)が悪化(あっか)すると、工廠(こうしょう)はアメリカ軍(ぐん)の空襲(くうしゅう)のターゲットになったため、この鈴鹿海軍工廠(すずかかいぐんこうしょう)も、敵機(てっき)に見(み)つからないよう関町新所(せきちょうしんじょ)の観音山(かんのんやま)の斜面(しゃめん)に地下壕(ちかごう)を掘(ほ)り、移(うつ)されました。
新所(しんじょ)の観音山(かんのんやま)以外(いがい)でも、このような地下壕(ちかごう)や弾薬(だんやく)や火薬(かやく)・馬具(ばぐ)などを保管(ほかん)するために掘(ほ)られた地下壕(ちかごう)がありました。現在(げんざい)のサンシャインパーク付近(ふきん)では多(おお)くの地下壕(ちかごう)が掘(ほ)られましたが、その中(なか)で現在(げんざい)のこっているものに、白木町押之尾(しらきちょうおしのお)と太岡寺町朝明山(たいこうじちょうあさけやま)の地下壕(ちかごう)があります。また、川崎町森(かわさきちょうもり)や辺法寺町(へんぼうじちょう)でも地下工場(ちかこうじょう)として地下壕(ちかごう)が掘(ほ)られました。