北伊勢飛行場(きたいせひこうじょう)
1941年(ねん)(昭和(しょうわ)16年(ねん))から終戦(しゅうせん)まで、能褒野町(のぼのちょう)から鈴鹿市広瀬町(すずかしひろせちょう)にかけて、陸軍(りくぐん)の飛行機(ひこうき)パイロットを育(そだ)てるための北伊勢陸軍飛行場(きたいせりくぐんひこうじょう)がありました。この飛行場(ひこうじょう)は、戦局(せんきょく)が悪化(あっか)すると、航空特攻(こうくうとっこう)とよばれる、敵(てき)の艦隊(かんたい)に爆弾(ばくだん)を搭載(とうさい)した飛行機(ひこうき)で体当(たいあ)たりする兵士(へいし)を育(そだ)てる訓練場(くんれんじょう)となりました。北伊勢陸軍飛行場(きたいせりくぐんひこうじょう)には、他(ほか)にも兵舎(へいしゃ)や飛行機(ひこうき)の格納庫(かくのうこ)がありました。戦局(せんきょく)が悪化(あっか)して以降(いこう)、飛行機(ひこうき)を空襲(くうしゅう)から守(まも)るために、飛行機(ひこうき)は格納庫(かくのうこ)に収納(しゅうのう)されなくなり、飛行場(ひこうじょう)の周囲(しゅうい)に掩体(えんたい)と呼(よ)ばれる土塁(どるい)を作(つく)って隠(かく)しました。鈴鹿市三畑町(すずかしみはたちょう)には、コンクリート製(せい)の掩体(えんたい)が作(つく)りかけのまま今(いま)も残(のこ)っています。そして飛行場(ひこうじょう)には、小学校(しょうがっこう)の天井板(てんじょういた)などを使(つか)って作(つく)られた偽物(にせもの)の飛行機(ひこうき)が、木(こ)の葉(は)をかぶせて並(なら)べられました。