大政翼賛会(たいせいよくさんかい)
1940年(ねん)(昭和(しょうわ)15年(ねん))10月(がつ)、近衛文麿首相(このえふみまろしゅしょう)を中心(ちゅうしん)に大政翼賛会(たいせいよくさんかい)という一党独裁体制(いっとうどくさいたいせい)が作(つく)られました。大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は、ナチスドイツの体制(たいせい)を真似(まね)たもので、国民(こくみん)を戦争体制(せんそうたいせい)へ駆(か)り立(た)てるために、国民(こくみん)の生活(せいかつ)や言論(げんろん)・思想(しそう)などを統制(とうせい)しました。大政翼賛会(たいせいよくさんかい)は、大日本婦人会(だいにほんふじんかい)や隣組(となりぐみ)(町内会(ちょうないかい))などを傘下(さんか)におき、1945年(ねん)(昭和(しょうわ)20年(ねん))6月(がつ)に解散(かいさん)するまで国民生活(こくみんせいかつ)を統制(とうせい)しました。亀山(かめやま)に残(のこ)る資料(しりょう)には、大政翼賛会(たいせいよくさんかい)三重支部(みえしぶ)から配(くば)られた戦闘機(せんとうき)や戦車(せんしゃ)の潤滑油(じゅんかつゆ)になるヒマシという植物(しょくぶつ)を育(そだ)てることを推奨(すいしょう)したり、戦時下(せんじか)の人口国策(じんこうこくさく)として子孫繁栄(しそんはんえい)のための結婚相談(けっこんそうだん)についての回覧板(かいらんばん)があります。