農業(のうぎょう)
明治(めいじ)20年代(ねんだい)の亀山(かめやま)では、米(こめ)の収穫(しゅうかく)を増加(ぞうか)し品質(ひんしつ)を改良(かいりょう)するために、試験(しけん)がおこなわれるようになりました。その後(ご)、明治(めいじ)30年代(ねんだい)には、三重県(みえけん)の監督(かんとく)のもと、井田川村海善寺(いだがわむらかいぜんじ)や野登村両尾(ののぼりむらふたお)に県(けん)の農業試験場(のうぎょうしけんじょう)の試験田(しけんでん)がつくられました。
また、1912年(ねん)(明治(めいじ)45年(ねん))、南崎(みなみざき)(南崎町(みなみざきちょう))の神社跡(じんじゃあと)に鈴鹿郡立農学校(すずかぐんりつのうがっこう)が設立(せつりつ)されました。この学校(がっこう)では、校舎(こうしゃ)や運動場(うんどうじょう)のほかに実習用(じっしゅうよう)の農地(のうち)があり、生徒(せいと)は、農業(のうぎょう)の基本(きほん)を1年間(ねんかん)で学(まな)びました。1929年(ねん)(昭和(しょうわ)4年(ねん))に三重県立河原田農学校(みえけんりつかわらだのうがっこう)(現在(げんざい)の三重県立四日市農芸高等学校(みえけんりつよっかいちのうげいこうとうがっこう))に合併(がっぺい)して移(うつ)りました。