亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)乳業(にゅうぎょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

乳業(にゅうぎょう)

現在(げんざい)、私(わたし)たちが普通(ふつう)に飲(の)んでいる牛乳(ぎゅうにゅう)が、日本(にほん)で飲(の)まれるようになったのは、明治(めいじ)になってからです。亀山(かめやま)でも牛乳(ぎゅうにゅう)は普及(ふきゅう)し、1901年(ねん)(明治(めいじ)34年(ねん))11月(がつ)に、神辺村山下(かんべむらやました)(現在(げんざい)の山下町(やましたちょう))で野間佳冶郎(のまよしじろう)が八百里牧場(はっぴゃくりぼくじょう)を開(ひら)き、畜産(ちくさん)や牛乳(ぎゅうにゅう)の販売(はんばい)を行(おこな)いました。また、1898年(ねん)(明治(めいじ)31年(ねん))に配(くば)られた、川崎村大字田村(かわさきむらおおあざたむら)の大井牧牛場(おおいぼくぎゅうじょう)の引札(ひきふだ)とよばれる広告(こうこく)からも、牛乳(ぎゅうにゅう)の販売(はんばい)が行(おこな)われたことがわかります。

 

大井牧牛場引札(おおいぼくぎゅうじょうひきふだ)

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