亀山こども歴史館トップページ 日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)殖産興業(しょくさんこうぎょう)

[日本(にほん)の歴史(れきし)の中(なか)の亀山(かめやま)]東日本(ひがしにほん)と西日本(にしにほん)の境(さかい)にあたる亀山市域(かめやましいき)は、日本(にほん)の歴史(れきし)の重要(じゅうよう)な場面(ばめん)で、大(だい)なくかかわりを持(も)っています。その亀山市(かめやまし)の歴史(れきし)を時代(じだい)ごとに追(お)ってみることにしましょう。

殖産興業(しょくさんこうぎょう)

現在(げんざい)の電車(でんしゃ)ができる前(まえ)は、石炭(せきたん)を燃料(ねんりょう)にして走(はし)る蒸気機関車(じょうききかんしゃ)(SL)が鉄道(てつどう)を走(はし)っていました。現在(げんざい)のJR関西本線(かんさいほんせん)は、最初(さいしょ)は関西鉄道(かんせいてつどう)という名前(なまえ)の鉄道(てつどう)で、1888年(ねん)(明治(めいじ)21年(ねん))8月(がつ)に、本線(ほんせん)である草津(くさつ)・四日市間(よっかいちかん)の敷設工事(ふせつこうじ)がはじまりました。井田川駅(いだがわえき)・亀山駅(かめやまえき)・関駅(せきえき)・加太駅(かぶとえき)を含(ふく)む柘植(つげ)・四日市間(よっかいちかん)が開通(かいつう)したのは、1890年(ねん)(明治(めいじ)23年(ねん))12月(がつ)です。その後(ご)、支線(しせん)として亀山(かめやま)・津間(つかん)は、1890年(ねん)(明治(めいじ)23年(ねん))10月(がつ)に工事(こうじ)がはじまり、翌(よく)1891年(ねん)(明治(めいじ)24年(ねん))8月(がつ)に亀山(かめやま)・一身田間(いしんでんかん)が開通(かいつう)しました(一身田(いしんでん)・津間(つかん)が開通(かいつう)したのは、同年(どうねん)11月(がつ))。これにより、四日市(よっかいち)・津間(つかん)の郵便物(ゆうびんぶつ)は蒸気機関車(じょうききかんしゃ)で運(はこ)ばれることになりました。


関西鉄道路線図(かんさいてつどうろせんず)

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