洋服着用(ようふくちゃくよう)
1871年(ねん)(明治(めいじ)4(ねん))の「散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)」によって洋風(ようふう)の髪型(かみがた)が流行(はや)ると、それに合(あ)わせて、都市(とし)では、服装(ふくそう)もだんだんと洋服(ようふく)が着(き)られるようになっていきます。亀山地域(かめやまちいき)で洋服(ようふく)が広(ひろ)く着(き)られるようになったのが、いつの頃(ころ)からかはわかっていませんが、引札(ひきふだ)と呼(よ)ばれる当時(とうじ)の広告(こうこく)(1898年(ねん)〔明治(めいじ)31年(ねん)〕)に、洋服(ようふく)を着用(ちゃくよう)した人(ひと)の姿(すがた)が描(えが)かれていることから、洋服姿(ようふくすがた)が、確実(かくじつ)にこの地方(ちほう)にも伝(つた)わっていたことがわかります。また、1909年(ねん)(明治(めいじ)42年(ねん))に、和服(わふく)の下(した)に洋服(ようふく)であるシャツ(しゃつ)を着(き)た学生(がくせい)を撮影(さつえい)した写真(しゃしん)がのこされています。当時(とうじ)、多(おお)くの人(ひと)は洋服(ようふく)の着方(きかた)についてあまり知識(ちしき)がなかったので、このように和服(わふく)と洋服(ようふく)を一緒(いっしょ)に着(き)ていました。